レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月10日
- 登録日時
- 2012/02/09 16:03
- 更新日時
- 2012/08/30 13:32
- 管理番号
- 97-C-15
- 質問
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解決
正岡子規が『散策集』の中に書いている「照葉狂言」について知りたい。
- 回答
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質問の箇所は、【資料1】P11~12、明治28年10月6日の項にあり、次のとおりである。
(略)帰途大街道の芝居小屋の前に立ちどまりて漱石てには狂言見んといふ立ちよれば今箙の半ば頃なり戯れに一句づゝを題す。(略)
小さくといへる役者の女ながらも天晴腕前なりけるに
男郎花は男にばげし女哉
【資料2】の「照葉狂言と松山」(P177~188)という項に、子規と漱石の照葉狂言見物や泉祐三郎一座の松山巡業の様子、道後温泉の財政難を救ったエピソードなどがくわしく紹介されており、【資料1】に出てくる「大街道の芝居小屋」は新栄座、「小さく」は泉祐三郎の妻だとわかる。初出の【資料3】には、泉祐三郎一座の写真が掲載されており、昭和43年8月12日付愛媛新聞に掲載された柴田宵曲氏の「照葉狂言と松山」(「明治への視覚」 第20回)と、同年9月5日付愛媛新聞に掲載された上野恭一氏の「照葉狂言漫語」についても記載がある。
また、【資料4】P175の「照葉狂言」の項には、次のように記載されている。
照葉狂言 てるはきょうげん 明治期に行われた舞台芸能。「てりは狂言」ともいう。正岡子規は『散策集』に「てには狂言」と記す。今様能狂言ともよばれた。能狂言と歌舞伎が交じり合ったもので、能の四拍子(笛・大鼓・小鼓・太鼓)のほか三味線を加えた囃子に踊り・歌謡・音曲を入れ女役者を多用。起源は江戸時代という。いろいろな一座があったが、高松生まれの泉祐三郎一座の芸が優れており、松山にもしばしば来演。(略)泉鏡花に小説『照葉狂言』、高浜虚子も『俳諧一口噺』『楽屋』に一座の回想を描いている。
他に、【資料5】P89~92にも「子規・漱石の興味を惹いた照葉狂言の顚末」という項がある。
- 回答プロセス
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(1)【資料1】にあたる。
(2)郷土史家の方から紹介された、芸能関係に詳しいという越智二良氏の著書【資料2】にあたる。
(3)【資料2】が初めて掲載された【資料3】にあたる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 能楽.狂言 (773 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】 『散策集』 正岡 子規/〔著〕 松山市教育委員会内社会教育課 1969年 <請求記号:H099 /マシ /1973 >
- 【資料2】 『たれゆえ草』 越智 二良/著 松山子規会 1977年 <請求記号:K914.6 /オジ /1977 >
- 【資料3】 『愛媛の文化 第10号』 愛媛県文化財保護協会/発行 1970年 <請求記号:K705 /1 /10 >
- 【資料4】 『愛媛県百科大事典 下』 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室/編集 愛媛新聞社 1985年 <請求記号:R /K290 /63 /2>
- 【資料5】 『愛媛能楽史』 森松 幸夫/著 愛媛能楽協会 1989年 <請求記号:K773 /1>
- キーワード
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- 照葉狂言 てるはきょうげん
- 夏目漱石 なつめ,そうせき
- 正岡子規 まさおか,しき
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 事例出典『郷土資料に関する調査・相談事例集』 愛媛県図書館協会・愛媛県立図書館/編集 愛媛県立図書館 1997年
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000101278