レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2015/07/11 15:00
- 更新日時
- 2015/08/13 13:40
- 管理番号
- 2015-002
- 質問
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解決
倉吉市清谷にあった、と殺場の詳しい場所
①青果市場のあたり(現在の鳥取県倉吉市清谷町2丁目18)と
②メモリアルホール(現在の鳥取県倉吉市清谷町2丁目143)のあたりの2説を聞いたが、正しいのがどちらか知りたい
- 回答
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・『和牛改良のふるさと 鳥取県和牛沿革史』(郷土642/ワ)p191~192:倉吉市大塚に“中部食肉センター”があった旨の記載あり(昭和45年に倉吉市大塚の経済連敷地内に完成)。と畜場として存在していた旨が書かれていた。
・鳥取県経済連の運営とあったので、『鳥取県経済連40年史』(郷土書庫611/ト)を確認。
p707~720 中部食肉センターの建設について、昭和45年倉吉市大塚の経済連大塚事業所内に完成したとの記載あり。中部食肉センターの配置図もあり(p714)。
p837~「新しい食肉センター設置の動き」昭和51年1月、新しい食肉加工流通センター建設について要申請書が提出されたとの記載あり。
p845~846 「食肉流通センター設置協議会事業計画(要旨)」にて、55年時点ではまだ新しい食肉流通センターは設置計画中であることがわかる。
また、『和牛改良のふるさと 鳥取県和牛沿革史』にも、p192に昭和57年5月、株式会社鳥取県食肉センターを名和町に設立し、これにともない中部食肉センターは食鶏加工事業を行うことになったと記載あり。
・『鳥取県の畜産 第二集』p94-95に中部食肉センターの所在地(倉吉市大塚460)が載っていた。※昭和45年設置当時の所在地
・当館が所蔵している一番古いゼンリン住宅地図は1977年(昭和52年)のもの。このゼンリン住宅地図で確認してみると、p169中部配送センター(倉吉市大塚597-1)の隣に中部食肉センターが記載されていた。上記『鳥取県経済連40年史』p714の食肉センター配置図と同じ場所と思われる。
1991年(平成3年)のゼンリン住宅地図で確認すると、食肉センターの所在地は倉吉市大塚463となっており、同じ敷地内に「共同畜産」の建物がある。
『鳥取県経済連40年史 資料編』p210、212の「鳥取共同畜産株式会社」(昭和41年設立、当時は鳥取物産株式会社)の所在地も倉吉市大塚463となっている。⇒『鳥取県経済連40年史』p572 「鳥取物産株式会社」(鳥取共同畜産株式会社の前進)の設立の経過について記載あり。
②の説のあたり(当時の倉吉市大塚463)に、かつてと殺場としても機能していた食肉センターがあった模様。
現在の地図で見ると、かつて中部食肉センターがあった場所(倉吉市大塚463)は現在の清谷町2丁目として区画整理されていた。
- 回答プロセス
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・『西日本住宅詳細図』(資料コード111741435 出版年不明)のp18を見てもらったが記載なし
・『上井ふるさと誌』…記載なし
・『ふる里大塚誌』…記載なし
- 事前調査事項
- NDC
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- 畜産史.事情 (642 8版)
- 農業経済・行政・経営 (611 8版)
- 参考資料
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- 『上井ふるさと誌』上井ふるさと誌編集委員会/編 上井地区振興対策協議会 200406
- 『ふる里大塚誌』ふる里大塚誌編集委員会/編 大塚自治公民館 200412
- 『西日本住宅詳細図』大迫 正富/編 善隣出版社
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『和牛改良のふるさと 鳥取県和牛沿革史 』 全国農業協同組合連合会鳥取県本部,全国農業協同組合連合会. 2007.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009041815-00 -
『鳥取県経済連40年史』鳥取県経済連40年史編纂委員会 編纂 , 鳥取県経済農業協同組合連合会. 1992.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002169736-00 -
『鳥取県経済連40年史 資料編』鳥取県経済連40年史編纂委員会 編纂 , 鳥取県経済農業協同組合連合会. 1992.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I014264173-00 -
『鳥取県の畜産 第2集』鳥取県農林水産部畜産課 編 , 鳥取県, 1984.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001724029-00
- キーワード
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- と畜場
- と殺場
- 倉吉市大塚
- 倉吉市清谷町
- 中部食肉センター
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000177090