レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/03/04
- 登録日時
- 2010/03/14 02:10
- 更新日時
- 2010/03/14 02:10
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-090359
- 質問
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解決
宮城県の旧国名と旧国名を冠した古い碑(上州三碑のような碑)があれば、所在地、由緒等を教えてください。
- 回答
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資料1.『宮城名数と古碑』 矢島玄亮著 【K031/ヤ1-2】 所収『三訂宮城名数』 (東北大学附属図書館研究年報20別刷)に、以下のような記述があります。
p8に《奥州三碑(一名宮城三碑・宮城の三筆)。多賀城碑(多賀城市)。頼賢碑(一名御(雄)島碑。松島)。蒙古碑(一名。燕沢碑。燕沢)。》
資料2.『宮城県百科事典』 昭和57年 河北新報社刊 【K031/カ2/タ】に、以下のような記述があります。
p649に《たがじょうひ 多賀城碑 多賀城市市川字田屋場の多賀城南門跡の内側、県道に添う標高約17mの丘の上にある。(前略)724年(神亀元)大野東人が多賀城を築き、762年(天平宝字6)藤原恵美朝?が修造したことを記し、併せて立碑の時をも示している。(後略)》
p1038に《もうこのひ 蒙古之碑 仙台市燕沢の善応寺境内にある。宋の帰化僧円覚寺開山祖元によって、文永・弘安両役で戦没した元軍の亡魂を弔うため、弘安年間(1285年前後)建立したと伝えられ、「大乗妙典一字一石之碑」という。(後略)》
p1087に《らいけんのひ 頼賢之碑 (前略)松島雄島にあり、瑞巌寺所有。1307年(徳治2)に匡心、孤連らが師の松島雄島妙覚庵主頼賢の徳行を後世に伝えようとして建てたもの。(後略)》
- 回答プロセス
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「古碑」をキーワードに所蔵資料を検索。『宮城名数と古碑』 矢島玄亮著 (K031/ヤ1-2)をもとに、『宮城県百科事典』 昭和57年 河北新報社刊 (K031/カ2/タ)を当たった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 歴史補助学 (202 9版)
- 参考資料
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- 1 宮城名数と古碑 矢島 玄亮/著 [] 昭和 K031/ヤ1-2 p8下段 奥州三碑の記載あり
- キーワード
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- 板碑 -- 宮城県
- 金石・金石文 -- 宮城県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000064628