レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年06月27日
- 登録日時
- 2015/06/28 10:14
- 更新日時
- 2015/11/15 16:52
- 管理番号
- 神戸図-864
- 質問
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江戸時代より以前
1. 一般の人(農民とか)は亡くなったとき、どこに葬られたか。
2.各地に共同墓のようなものがあったのか?
田んぼのなかに4~5の小さな石碑を見ることがあるが、これは明治以降のことか。
3.一般人(農民とか)の共同墓があったとすれば、神戸(特に兵庫区、長田区、中央区)ではどこにあったのか?
- 回答
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1. 資料1~6によると
葬法=遺体を葬る方法 について、日本においては土葬・火葬・風葬が行われ、樹上葬・水葬もかつてあったのではないかとされており、古墳時代後期から中世にかけての葬法は文献も少なく不明な点が多いようである。
従来の研究では、土葬が一般的な葬法と考えられていたが、次のような諸説もみられる。
『墓地 日本古代文化の 探究』社会思想社,1975刊 : 火葬は従来考えられていたものより多く行われていた
『日本中世の墓と葬送』吉川 弘文館,2006刊 : 風葬、遺棄が中世では一般的に行われていた
2. 共同墓について
『日本民俗大辞典・下』吉川弘文館,1999刊 :「墓」の項に墓の立地について記載。
『日本大百科全書8』小学館,1984刊 :「墓」の項に、庶民のために石碑をたてる風習は、近畿の先進地帯でも中世末からのことであ り、広く普及したのは近世の中ごろと記載。
3. 神戸の明治以降の共同墓地については『衛生局のあゆみ』1969刊に、明治以降設けられた市立墓地施設の記載あり。江戸時代以前について記述した資料は見つからず。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 通過儀礼.冠婚葬祭 (385 8版)
- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498)
- 参考資料
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- 『衛生局のあゆみ』神戸市衛生局 1969 ( PV:0000254845 0014=52)
- 資料1. 『日本民俗大辞典 下』吉川弘文館 1999刊 (PV:69815 館内閲覧 380=M9=2)
- 資料2. 『葬送墓制研究集成第五巻 墓の歴史』 名著出版 1979刊 (PV:0006014664 386=33=5)
- 資料3. 『日本葬制史』 吉川弘文館 2012刊 (PV:7200242219 385=P2)
- 資料4. 『墓と葬送の社会史』吉川弘文館 2014 (PV:7200377597 385=P4)
- 資料5. 『墓地 日本古代文化の 探究』社会思想社,1975 (PV:0000295815 386=21)
- 資料6. 『日本中世の墓と葬送』吉川 弘文館,2006 (PV:7000337540 385=N6)
- キーワード
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- 墳墓
- 冠婚葬祭--日本
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- メールレファレンス
- 調査種別
- 事実調査 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000176503