1 土肥七助の学んだ武芸の流派
依頼者から記述の可能性があるのではないかと指摘のあった、当館所蔵資料を調査したが、
いずれも、土肥七助の学んだ武芸の流派については触れていなかった。
・「讃岐 第2号」(讃岐会/編 讃岐会 1914年発行)
土肥七助義学(加藤飯山/著)(137~138頁)
・「随筆讃岐の文人」(草薙金四郎/著 草薙金四郎 1942年発行)
土肥大作土肥大作、池口一雄の江戸遊学(211~215頁)
・「丸亀史料シリーズ 第1号」(丸亀市文化財保護委員会/編 1956年に丸亀市教育委員会が
発行 1998年に香川県立図書館が複製)
土肥大作(15~16頁)
・「丸亀史料シリーズ 第6号」(丸亀市文化財保護委員会/編 丸亀市教育委員会 1969年発行)
京極朗徹・土肥大作(竹内邦雄/著)(45~47頁)
・「さぬき人物月旦 さぬき人物小伝」(伊藤峰雲/著 讃岐公論社発行の
「讃岐公論 昭和40年5月-44年9月」掲載の複写)
丸亀藩志士土肥大作と七助(その27)
・「史蹟名勝天然記念物調査報告 9」(香川県史跡名勝天然記念物調査会/編 香川県
1938年発行)
香川県下に於ける明治維新の勤王家1 土肥七助(38~39頁)
なお、本書には「年十五村瀬某に随つて播磨国網干に学ぶこと三年にして家に帰る。此歳
伊予西条宇和島に順遊し剣法を試む。」との記述がある。
この他、「讃岐人物風景 8(百花繚乱の西讃)」(四国新聞社/編 大和学芸図書
1982年発行)の土肥兄弟の章(204~217頁)にも、「・・・弟の七助は播州や伊予国の西条、
宇和島などの藩で詩文や剣法などの研鑽につとめいた。」との記述がある。
2 矢野道場の直清流について書かれている資料
依頼者から記述の可能性があるのではないかと指摘のあった「香川善治郎伝-無刀流秘録」
(森川竜一/著 香川善治郎伝刊行会 1983年発行)を見たところ、第一章春 六香川善次郎手記「覚書」に
次の記述があった。
「旧丸亀藩直清流剣術師範矢野市之進先生の門に入らしむ。毎(つね)に教を受く。」(38頁)
また、「新編丸亀市史 2(近世)」(丸亀市史編さん委員会/編 丸亀市 1994年発行)
第十三章芸文 第六節武芸 (1146~1156頁)には、丸亀京極藩の武芸の特色や
武芸系譜、出色の武芸者略伝が記されている。
その記述によれば、幕末には、武芸修業が盛んになり、諸藩士との交流も活発であったようで、
嘉永甲寅(一八五四)夏日道後客舎灯前にて書 真心陰流剣術「土州住人北添佶磨英士録」中に、
「丸亀藩 直清流 鷹匠町 矢野一之進」と記録があるとのこと。(1153~1154頁)
さらに、数行ずつではあるが矢野家の二名、矢野音八、矢野敬勝(矢野一之助)の経歴が
記されている。(1155頁)
3 鮎川一雄について書かれている資料
次の資料に、鮎川一雄に関する記述がある。
・「史蹟名勝天然紀念物調査報告 10」(香川県史跡名勝天然紀念物調査会/編
香川県 1939年発行)
香川県に於ける明治維新の勤王家(其の二) 鮎川一雄(44~45頁)
・「随筆讃岐の文人」(草薙金四郎/著 草薙金四郎 1942年発行)
讃岐芸林史話 多芸多才の鮎川一雄(259~260頁)
・「丸亀史料シリーズ 第2号」(丸亀市文化財保護委員会/編 1957年に丸亀市教育委員会が
発行 1998年に香川県立図書館が複製)
鮎川一雄(17頁)
4 丸亀藩の武芸全般について書かれてある資料
「新編丸亀市史 2(近世)」第十三章芸文 第六節武芸 (1146~1156頁)が該当。