以下の資料に関連の記述を確認しました。
■『栃木県医師会史 下野医史』(栃木県医師会/編 栃木県医師会 1969)
p.1541「三.関東大震災 a.医療団の活躍」
「朝鮮人に対しては不穏の行動があるとして誤解され各地で暴力が加えられたので、一定の場所に保護した。本県では那須金丸ヵ原陸軍隠廠舎に収容保護した朝鮮人は四百名であった。これらに対して衛生班を常設して健康管理を行った。」とあります。
■『栃木県の風土と歴史』(栃木県連合教育会/編、発行 1976)
p.304「第五章 近・現代 第七節 大正デモクラシーと民衆 3.民集意識の高まり 関東大震災」
震災後、朝鮮人に関する噂が流れ、それにより事件が起きたため、那須の金丸原の演習場に四〇〇余名の朝鮮人が収容された旨記載があります。
■『現代史資料 6』(みすず書房 1982)
関東大震災における朝鮮人関連の事件に関する証言や文書等を収録した資料です。
金丸原及び栃木県内で保護された朝鮮人について、以下のページで記載があることを確認しました。
・p.259「第三部 強制収容と調査 十六 強制収容と労働 六 第二 栃木県金丸ヶ原廠舎の状況」
・p.260「第三部 強制収容と調査 十六 強制収容と労働 七 金丸ヶ原に於ける鮮人の所感」
・p.282-321「第三部 強制収容と調査 十七 収容朝鮮人の陳述 第一部 保護鮮人の震災及び時局に関する感想」
■下野新聞
今回の調査で確認できた新聞記事は、以下のとおりです。
・大正12年9月18日 5面「保護中の鮮人を金丸原へ 師團と縣と打合」
・大正12年9月19日 5面「朝鮮人金丸 収容數」
・大正12年9月21日 5面「護送兵百名の監視で鮮人四百名 金丸原へ送らる」
・大正12年9月27日 4面「金丸原の鮮人は半數は病人」
以下の資料はお調べしましたが、関連の記述を確認できませんでした。
・『那須文化研究 第24号 』(那須文化研究会 2011)
p.1-49「金丸原演習場-絵葉書と地形図に残されたその記録-」が収録されていますが、朝鮮人収容に関する詳細な記述は確認できませんでした。
・『大田原市史研究 第1号』(大田原市史編さん委員会/編 大田原市教育委員会 2021)
「大田原市の戦後開拓と土地改良-金丸原陸軍演習場・飛行場と国・県営事業を中心に-」(作間亮哉/著)が収録されていますが、朝鮮人収容に関する詳細な記述は確認できませんでした。
・『栃木県史 史料編 近現代3』(栃木県史編さん委員会/編 栃木県 1979)
p.776「六八 金丸原飛行場へ勤労報国隊編成依頼」が掲載されていますが、朝鮮人収容に関する情報は確認できませんでした。
・『思い出の金丸原』(下鳥喜工/編 金丸飛行会 1981)
金丸原飛行場の在籍者、関係者によって発行された文集です。目次からは関連の情報を確認できませんでした。