レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年05月22日
- 登録日時
- 2014/05/22 19:15
- 更新日時
- 2014/09/20 15:28
- 管理番号
- 神戸図-595
- 質問
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未解決
明治41年に神戸市加納町2丁目にあった「衛生院」について
- 回答
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『兵庫県大百科』などでは記述みあたらず。
井川恭「神戸衛生院日記」PV:7200193416(井川恭は法哲学者恒藤恭の旧姓)や、
『恒藤恭とその時代』PV:7000074438によると、
井川(恒藤)恭は明治41年に神戸衛生院に入院している。
しかし、質問者がいう「衛生院」と同一の施設かどうかは裏付けとれず。
「神戸衛生院日記」解題によると、同院は布引町1丁目から2丁目に移転したとある(移転時期不詳)が、日記本文では旗塚通りなどのもっと東側の地名が頻出する。
また、恒藤は入院中は生田川方面へ何度か散策している模様。
ちなみに布引町と加納町は道を挟んで向かいの位置関係。
このころ恒藤は衛生院で郡虎彦(萱野二十一)と交流をもつが、『郡虎彦:その夢と生涯』PV:0005011297には入院のくだりは一切かかれていない。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498 8版)
- 参考資料
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- 「神戸衛生院日記」 大阪市立大学大学史資料室 2011 大阪市立大学大学史資料室所蔵資料の復刻 (PV:7200193416 Fツネ)
- 『恒藤恭とその時代』日本エディタースクール出版部 2002 (PV:7000744380 Pツネ)
- 『郡虎彦:その夢と生涯』 岩波書店 1987 (PV:0005011297 91028=L7)
- キーワード
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- 病院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000153661