レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年01月30日
- 登録日時
- 2018/01/31 20:44
- 更新日時
- 2022/05/13 14:58
- 管理番号
- 2018-005
- 質問
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未解決
小西増太郎の、同志社に勤めていた時の担当業務を知りたい。
- 回答
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お調べしたところ、小西増太郎は、明治45(1912)年から大正3(1914)年5月まで本学で勤めており(神学部講師、大正2年4月より事務局主事心得を兼務)、図書館の近代化に重要な働きをしました。事務局で図書館以外の業務にもあたっていたようですが、具体的な業務内容までは分かりませんでした。
講師としてはロシア語を教えていたと記載されている人名事典もありましたが、本学関係資料を調べたところ、そのような記録はなく、神学部・神学研究科事務室にある未整理の事務資料に新訳地理・哲学概論の講義を担当していたとの記載がございました。
本学社史資料センターへも問い合わせましたが、小西増太郎の履歴書や当時の記録にも担当していた授業科目やその内容についての記載は書かれていないとのことでした。(履歴書を閲覧するにはご遺族の承認が必要です。)
詳細は回答プロセスをご参照ください。
- 回答プロセス
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1.辞事典類の確認
・本学契約データベースJapanKnowledge Lib及びwhoplusを検索
→「JapanKnowledge Lib」にあがる『日本人名大辞典』の「小西増太郎」の項目には「京都帝大などでロシア語をおしえた。」とあり、本学で講師を勤めたことまでは書かれていなかった。
「whoplus」にあがってきた『海を越えた日本人名事典』の「小西増太郎」の項目に同志社大学神学部で教えていたとの記載あり。小西増太郎についての図書・雑誌・新聞記事、事典の一覧が掲載されていたので、これらを確認。
以下の資料に、本学でロシア語を教えていたことが書かれている。
・『日本人名大事典 現代』(平凡社, 1979年7月)
・伊藤友信 [ほか] 編『近代日本哲学思想家辞典』(東京書籍, 1982年9月)
※以下の資料には本学で教えていたことは書かれていたが、科目(教えていた内容)までは書かれていなかった。
・鹿野政直, 鶴見俊輔, 中山茂編『民間学事典 人名編』(三省堂, 1997年6月)
2.同志社関係資料の調査
(1)神学部講師・事務局業務の両方が書かれていた資料
・『びぶりおてか : 同志社大学図書館報』No.2(1968年2月)
「ピックアップ」に、小西増太郎とトルストイがロシア語に訳した『老子』が紹介されている。その中に、帰国後、京都や東京の大学で教鞭をとっていたこと、同志社大学図書館にも主任として大正初期に在任し、図書館の近代化に重要な働きをしていたことが書かれている。(p.9-10)
・同志社社史史料編集所編『同志社年表 : 未定稿』(同志社社史史料編集所、1979年3月)
大正元年(1912)12月23日に神学部教員への採用が認可されたこと、大正2年4月に事務局主事心得に就任したこと、大正3年5月に退職したことそれぞれが記載されている。(p.72~73, 75)退職時は大学講師兼事務局主事。
・『同志社年度報告』
大正元年度の報告中に、「神学部に於ては(中略)本学年初より(中略)講師として(中略)小西増太郎の三氏を嘱託せり。」とあり。(p.5)
大正二年度の報告中に、「事務局に於ては小西増太郎氏新たに主事心得として大正二年四月より就任」とあり。(p.5)
大正三年度の報告中に、「事務局に於て主事心得小西増太郎氏昨年五月辞せられたる」とあり。(p.5)
・『同志社時報』
89号(明治45年6月25日)に、「小西増太郎氏は神学部講師に就任、当分社長事務の補助を兼ねらるることとなれり。」とあり。
90号(明治45年7月25日)に、同志社教会の転会者一覧に「小西増太郎(神学部講師)」とあり。(p.6)
98号(大正2年4月25日)に、「小西増太郎氏 本学年より事務局主事心得に就任、傍ら大学講師として神学、政経両部に教授せらるべし」と記載あり(p.6)。
111号(大正3年6月25日)に、「小西増太郎氏 大学神学部講師兼事務局主事心得として社務に尽力されたる同氏は今回東京松昌洋行の懇請に依り五月限り辞任東上せられたり。」とあり(p.5)。同じ号に「小西先生送別会」という記事があり、大正3年6月9日に送別会が開催されたこと、「直接に先生の教授に与りし」普通校二年級を代表して志水組長が送別の辞を述べたことがそれぞれ記されている(p.9)。
・『同志社新報』46号(昭和15年4月20日)
三輪源造「小西さんを思ふ」という追悼文中に、「モスクワの大学では、心理学や哲学を専修されたさうで、同志社へ招聘されたのも、さういふ方面の講座を受持つといふ諒解の下であつたさうで、露西亜文学の講座の新設の期待もあつてのやうに話されたのに、さうゆう事が少しも実現されず、空しく主事の如き役に据えられて、財務や建築の監督やらに、日を送らせてゐられた事は、…(略)」とあり(p.8)。また、「昨年中永眠校友」の一覧に「小西増太郎氏(昭二入)」とあり(p.11)。
(2)事務局業務のみ書かれていた資料
・同志社々史々料編集所編『同志社九十年小史』(同志社, 1965年11月)
大正2年から小西増太郎が図書館で主任となって、カード目録の整備や図書の再整理に着手したことが書かれている。(p.473-477)
・同志社社史史料編集所編『同志社百年史』通史編二(同志社, 1979年11月)
図書館で明治45(1912)年度から湯浅吉郎を委員長として帳簿・書類の整備をはじめ、その翌年に小西増太郎を主任にして、図書分類の編纂やカード化作業を行ったこと、新たな閲覧規定を定めたことが書かれている。(p.1514-1515)また、第7代総長原田助、第8代総長海老名弾正の時代に同志社の財団管理の衝にあたり、明治末年から大正にかけて同志社の内部充実に貢献したことも書かれている。(p.1585)
・『同志社大學部普通學校職員及學生名簿』
大正2年4月、3年4月現在の職員名簿に、事務局主事心得として小西増太郎の名前が掲載されている。
(1)・(2)の資料から、事務局主事心得としては、図書館業務や「社長事務の補助」「財務や建築の監督」「同志社の財団管理の衝」の業務にあたっていたことが分かったが、図書館業務以外の具体的な内容について書かれている資料は見つからなかった。
(3)神学部についての資料
・『私立同志社大学神学部一覧』に授業、担当科目が掲載されていたが、自明治45年4月至明治46年3月に小西増太郎の掲載なし。大正2年度、大正3年度の所蔵なし。
3.本学部署へ問い合わせ
学内の関連部署に当時の記録が残っていないか問い合わせた。
・人事企画課
→人事係では授業担当科目・シラバス(授業内容)までは分からないとの回答であった。
・社史資料センター
→以下のように回答あり。
・履歴書や当時の記録を確認したが、担当していた授業科目やその内容についての記述された資料が見つからず、『同志社新報』46号に掲載の追悼文に書かれている以上のことは分からない。(小西増太郎の履歴書を閲覧するには遺族の承認が必要。)
・「同志社大学学則」(大正9年3月)の第一条に学修科目について定められており、その科目表の中に「露西亜語」があるが、それ以前の資料が残っておらず、ロシア語の授業がいつ開講されたか、また担当講師は不明。
・神学部・神学研究科事務室
→未整理の事務資料の中にある「同志社神学校教項日記 自明治四十四年四月 至大正七年五月」という資料に、「小西増太郎」の名前が掲載されていたとの回答。詳細な内容まで不明とのことで、特別に図書館へ持ち出して利用者が閲覧することとなった(未整理の資料のため、複写・撮影は不可)。
確認したところ、以下のことが書かれていた。
・明治45(1912)年5月17日の神学部教授会の決議で、5月21日より毎週3時間ずつ、新約地理の講義を担当するよう依頼することが決定した。
・明治45年7月2日の教授会で、予科1年生の哲学概論の講義の依頼することが決定した。
・大正2年1月17日の教授会議の出席者に小西増太郎の名前があり。
■参考
CiNii Articlesで論文検索 キーワード:小西増太郎
→検索結果の中から、以下の論文を確認。
・村上恭一「トルストイに「老子」を教えた日本人--小西増太郎のこと」(『図書』(700)、2007年7月)
京都帝国大学を卒業した高倉輝が、小説『蒼空』の冒頭で小西増太郎の授業が描かれていると紹介。
※『蒼空』は『高倉輝著作集 第3輯』に収録、国立国会図書館デジタルコレクションにて公開されている。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970053 [参照 2016-12-19]
- 事前調査事項
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・小西増太郎はトルストイに会った最初の日本人で、ロシアから帰国後、本学や京都大学で講師を勤めていた。また、トルストイと共訳でロシア語の『老子』を出版した。
・以下の資料は確認済み。
・太田健一著『小西増太郎・トルストイ・野崎武吉郎 : 交情の軌跡』(吉備人出版, 2007年4月)
・小西増太郎著『トルストイを語る : いかに生きるか』(再編版, 万葉社、2010年10月)
・杉井六郎「小西増太郎覚書」『明治期キリスト教の研究』(同朋舎出版, 1984年6月)
・太田健一「小西増太郎覚書」(『倉敷の歴史』(2), 1992年3月)
・日本キリスト教歴史大事典編集委員会編『日本キリスト教歴史大事典』(教文館, 1988年2月)
・「レファレンス協同データベース」の事例(岡山県立図書館)で紹介されていた文献。
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000199775 [参照 2016-12-16]
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 参考資料
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- 『日本人名大辞典』, JapanKnowledge [参照 2016-12-16]
- 『海を越えた日本人名事典』, whoplus, [参照 2016-12-16]
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日本人名大事典 現代. 平凡社, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001418445-00 (NCID:BA59145857) -
伊藤友信 [ほか]編集 , 伊藤, 友信, 1923-. 近代日本哲学思想家辞典. 東京書籍, 1982.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001583130-00 (NCID:BN00791524) -
鹿野政直, 鶴見俊輔, 中山茂 編 , 鹿野, 政直, 1931- , 鶴見, 俊輔, 1922-2015 , 中山, 茂, 1928-2014. 民間学事典 人名編. 三省堂, 1997.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002595402-00 , ISBN 4385158401 (NCID:BA30849235) -
同志社大学図書館. びぶりおてか : 同志社大学図書館報. 同志社大学図書館, 1967.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000032211-00 (NCID:AN10144693) -
同志社社史史料編集所 編 , 同志社社史史料編集所. 同志社年表 : 未定稿. 同志社社史史料編集所, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001421617-00 (NCID:BN06750417) - 同志社年度報告. 同志社. (本学書誌ID:SB10007202)
- 同志社時報. 同志社時報社, 1906.1-1927.10. (本学書誌ID:SB10008499)
- 同志社新報. 同志社新報社, 1936.4-1946.1. (本学書誌ID:SB10008508)
-
同志社々史々料編集所 編 , 同志社. 同志社九十年小史. 同志社, 1965.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001077367-00 (NCID:BN08899502) -
同志社社史史料編集所 [編] , 同志社社史史料編集所. 同志社百年史 通史編. 同志社, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001449979-00 (NCID:BN01577053) - 同志社大學部普通學校職員及學生名簿. [同志社大學]. (本学書誌ID:SB10007237)
- 私立同志社大學神學部一覽. 私立同志社大學, 1912.2-. (本学書誌ID:SB10000430)
- 同志社神学校教項日記 自明治四十四年四月 至大正七年五月
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村上 恭一 , 村上 恭一. トルストイに「老子」を教えた日本人--小西増太郎のこと. 2007-07. 図書(700) p. 18~23
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I8880569-00 (NCID:AN00378472) -
高倉, テル, 1891-1986. 高倉輝著作集 第3輯. アルス, 1923.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000584556-00 (NCID:BA39828336)
- キーワード
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- 同志社
- 小西増太郎
- 照会先
-
- 本学人事企画課
- 本学社史資料センター
- 本学神学部・神学研究科事務室
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 同志社
- 質問者区分
- 教員
- 登録番号
- 1000229483