レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年09月04日
- 登録日時
- 2023/09/09 16:19
- 更新日時
- 2024/01/09 16:51
- 管理番号
- 埼熊-2023-041
- 質問
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未解決
鎌倉の戦で落武者となった内野図書(うちの ずしょ)が、太田ヶ谷村(鶴ヶ島市)を開くまでの足跡を知りたい。
- 回答
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内野図書が太田ヶ谷村を開くまでの足跡が分かる資料は確認できなかった。
- 回答プロセス
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1 埼玉の人名に関する参考図書を確認する。
『埼玉人物事典』(埼玉県教育委員会編 埼玉県 1998)
『埼玉苗字辞典 第1巻(ア-オ)』(茂木和平著 茂木和平 2004)
p1240「ウチノ」の21番目の項に「同郡太田ヶ谷村(鶴ヶ島市) 鎌倉の落武者内野図書は、」とあり。『鶴ヶ島村郷土誌』の引用あり。
p1241「室町中期に内野図書一族が当村を開発し天正末頃に内野姓四十二軒となっているが(中略)内野氏も其頃からの居住か。」とあり。
『鶴ヶ島町史』の引用あり。
2 『埼玉苗字辞典 第1巻(ア-オ)』に挙げられていた資料を確認する。
『鶴ヶ島村郷土史 写本』(水田光全写 埼玉県入間郡鶴ヶ島村役場)(鶴ヶ島市立中央図書館所蔵)
『鶴ヶ島町史 通史編』(鶴ヶ島町史編さん室編 鶴ヶ島町 1987)
p512 太田ヶ谷村の戸長、副戸長に内野姓あり。
3 鶴ヶ島村に関する資料を確認する
『鶴ヶ島研究 3』(鶴ヶ島町史編さん室編 鶴ヶ島町史編さん室 1986)
p18-30「鶴ヶ島地区における中世集落の復元的考察」
p19、22に内野氏の記述あり。
『鶴ヶ島研究 4』(鶴ヶ島町史編さん室編 鶴ヶ島町史編さん室 1987)
『鶴ヶ島町郷土史資料集 第1集・第2集』(鶴ヶ島町郷土史研究会ほか共編著 鶴ヶ島町町史編纂室 1979)
p113-130「江戸初期の武州太田ヶ谷村」
p113「落武者だというからには、その時代に鎌倉で何らかの合戦があり、その戦に敗れて、(中略)その合戦が何時行われ、何故にこの土地を求めて来住したかについては、全然判っていない。」とあり。
4 埼玉関係雑誌記事索引データベース(埼玉県立図書館)を〈内野図書〉〈内野氏〉で検索する。
5 埼玉人物文献索引データベース(埼玉県立図書館)を〈内野図書〉〈内野氏〉で検索する。
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2018年9月4日。
- 事前調査事項
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『嘉重の記録と我が家のあゆみ』(内野金重編著 内野金重 2000)
p66「私の家の初代先祖については、鎌倉の落武者、内野図書から始まると思われる。図書は、子供五人、弟三人、譜代家来六人を従えて、この地に落ちて来たのだと言う。そして、図書が文政元年(一四六六年)四月一日歿し、生前の発願によって常福寺(現農村センターの所)が建立されたと伝えられている。常福寺は、図書の入道名が常福だからである。」とあり。
『鶴ヶ島町史 原始・古代・中世編』(鶴ヶ島町史編さん室編 鶴ヶ島町 1991)
『史料とその周辺 鶴ヶ島村郷土史史料集 第2集』(鶴ヶ島村郷土史研究会編 鶴ヶ島村公民館 1961)
『川越市史 史料編 中世Ⅱ』(川越市総務部市史編纂室編 川越市 1975)
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 内野 図書(ウチノ ズショ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000338425