レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/03/26
- 登録日時
- 2009/06/19 02:10
- 更新日時
- 2009/06/26 14:11
- 管理番号
- 埼浦-2009-007
- 質問
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解決
明治末期~大正初期(1910~1914年頃)の池袋(東京都豊島区)-平林寺(埼玉県新座市)の交通手段を知りたい。
- 回答
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平林寺付近の鉄道開通により、交通手段の選択肢が増えた。資料で確認できた交通手段について、以下のとおり回答した。
1 東武東上線の開通まで(~大正3年(1914))
『東京遊行記』(大町桂月 大空社 1992) ※原本は明治39年(1906)刊
p600「大久保より汽車にのり、境に下りて、歩して北行す。(中略)境停車場より、凡そニ里半にして、野火止の平林寺に達す。」とある。本書は大町桂月による紀行文。この時は、現在のJR中央線で武蔵境駅(旧境駅)から徒歩で向かっている。
2 東武東上線の開通後(大正3年(1914)~)
『東上鉄道案内』(大日本交通協会 1915)
p38膝折駅(現朝霞駅)の項に「平林寺 駅より西二十八丁大和田町大字野火止にあり」
『史蹟を探る人々に』(一高史談会 黎明社 1923)
p246「東上線の膝折駅から約一里、志木駅から一里余、(中略)平林寺という巨刹がある」
『埼玉県名勝旧蹟案内』(埼玉県 1930)
p9「平林寺 北足立郡大和田町 東上線志木駅を距る約一里」
『武蔵国史蹟総覧』(歴史図書社 1978) ※原本は昭和7年(1932)刊
p113平林寺の項に「帰路は東武鉄道東上線志木駅に出るのが最も近い」とあり。
3 武蔵野鉄道(現西武池袋線)の開通後(大正4年(1915)~)
『武蔵野鉄道沿線名所案内』(横田雅三 大沢儀平 1928)
p13「清瀬駅付近」の項に「名刹平林寺 駅より車約三十町関東屈指の名刹なり」
『史蹟を探る人々に』(上記より再掲)
p246「武蔵野鉄道の東久留米又は保谷駅から約一里十町の処に、平林寺という巨刹がある」
- 回答プロセス
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大正3年(1914)前後の観光名所案内、鉄道沿線案内資料を調査した。
《飯能市郷土館》のWebサイト「That's郷土館」のページに記述があり。
「子ノ権現と明治の文人 ~大町桂月『東京遊行記』より~」というコラムの文中に、「桂月が記した『東京遊行記』(明治39年)という旅行記によると、夢枕に立った子ノ聖の『御教』に従い子ノ山を目指した桂月一行。平林寺(新座市)から聖天院(日高市)を経て飯能で一泊。」とある。
(http://www.city.hanno.saitama.jp/kyodo/index.html 2009/03/26最終確認)
このため、『東京遊行記』を確認したところ、該当する記述があり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 交通史.事情 (682 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『東京遊行記』(大町桂月 大空社 1992)
- 『東上鉄道案内』(大日本交通協会 1915)
- 『史蹟を探る人々に』(一高史談会 黎明社 1923)
- 『埼玉県名勝旧蹟案内』(埼玉県 1930)
- 『武蔵国史蹟総覧』(歴史図書社 1978)
- 『武蔵野鉄道沿線名所案内』(横田雅三 大沢儀平 1928)
- キーワード
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- 埼玉県-交通-歴史
- 平林寺-新座市-埼玉県
- 武蔵境駅-JR中央線
- 膝折駅-志木駅-東武東上線
- 清瀬駅-保谷駅-東久留米駅-西武池袋線(武蔵野鉄道)
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000055800