レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/09/10 16:38
- 更新日時
- 2023/09/15 16:28
- 管理番号
- 219
- 質問
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解決
昭和45年(1970)に開催された日本万国博覧会(大阪万博)と、尼崎市の関わりについて知りたい。
- 回答
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昭和45年(1970)3月15日から9月13日まで大阪府吹田市の千里丘陵で開催された日本万国博覧会には、尼崎市からも多くの観客が見学に訪れただけでなく、さまざまな関わりがありました。
1 シンボルマークをデザインした大高猛氏
昭和41年4月、万博のシンボルマークに大高猛氏(1926~2000)の作品が選ばれました。このとき大高氏は、大阪から移り住んで3年目の尼崎市民でした。
この年に市制50周年を迎えた尼崎市は、そのPRポスターのデザインを大高氏に依頼しました。
2 象の通過・野営
会期中に、タイ・ナショナルデーのイベントに出演する象の集団が、尼崎市内を通過しています。往路は昭和45年8月3日から4日にかけて、復路は9月3日から4日かけて、神戸港と万博会場の間を歩いて移動し、沿道には多数の見物人が殺到しました。往路・復路とも、西宮市と尼崎市の市境である武庫川の甲武橋付近で野営をしています。
3 モニュメントの移設
万博終了後、会場に設置されていた芸術作品の多くが各地に移設されました。このうち、尼崎市は3点のモニュメントを引き取り、橘公園に設置しました。
新宮晋"太陽と友達" 湯原和夫"無題" 今井祝雄"3トン石"
なお、これらの作品のうち、令和5年(2023)現在確認できるのは今井祝雄氏の作品"3トン石"のみであり、他の2作品は所在が確認できません。
- 回答プロセス
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1 大高猛氏に関する記事
◆『昭和41年5月5日 市報あまがさき 第376号』「万国博シンボルマークに入選した大高猛さん(話題の人)」
◆『昭和41年10月1日 月刊あまがさき 第3巻第10号(通巻30号)』「五十周年PRメイン・ポスター」大高猛(表紙の絵)
2 甲武橋での象の野営について記述した新聞記事
◆『昭和45年8月4日 毎日新聞 尼崎・伊丹版』
◆『昭和45年9月4日 毎日新聞 尼崎・伊丹版』ほか
3 尼崎市内に移設された万博モニュメントに関する資料
◆尼崎市広報課写真 F1970-486、F1970-492
◆伊元俊幸「サイハッケン 橘公園に現代アートが眠っていた。」尼崎南部再生研究室『南部再生』Vol.60(2019.1)掲載
4 万国博についての史料
◆日本万国博覧会会場案内図(尼崎信用金庫,1970)
5 パビリオンに関する未確認情報
大阪万博で使用されたベネズエラ・ドミニカ・モーリシャスのパビリオンを尼崎市が引き取り、その後兵庫県三日月町の福祉施設に使われたという情報があるが、関連資料がなく事実確認ができない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 団体 (606 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 万博
- 大阪万博
- EXPO
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000338454