レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年06月01日
- 登録日時
- 2020/07/26 16:52
- 更新日時
- 2020/08/28 13:11
- 管理番号
- 堺ー2020-047
- 質問
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解決
仁徳天皇陵の外堀の松はいつ植えられたのか?松が堀のほうへ傾いているのはなぜか?
- 回答
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明治20年代に植えられたものが、堤の一部に残ったと考えられる。なぜ堀のほうへ傾いているのかはわからず。
(北図書館)
- 回答プロセス
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「堺市史」第7巻830ページに、『明治二十年代の御料木の植替によって 今日鬱蒼の状となり、同三十年代の修築によって 第三隍が現状となった。』とある。また、中井正弘著の「仁徳陵」90ページに、『昭和四〇年代になってマツクイ虫などにやられ、松が急激に枯れはじめた。今では堤の一部と手入れのよい拝所付近でしか松は見られなくなった。』とあった。なぜ堀のほうへ傾いているのか明記された資料を見つけることができなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 堺市役所 編纂 , 堺市役所. 堺市史 : 別編 第7巻. 堺市役所, 1930. (p830)
- 堺市史 第7巻.
- キーワード
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- 大仙古墳
- 仁徳天皇陵古墳
- 堺市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000285018