レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年05月20日
- 登録日時
- 2012/09/06 14:32
- 更新日時
- 2012/09/06 14:32
- 管理番号
- tr229
- 質問
-
解決
烏山和紙の歴史について知りたい。明治初期には、投票用紙に使用されていたと聞いたが、それについて書かれた資料があれば見たい。
- 回答
-
以下の資料に、関連する記述が確認できました。
・『聞き書きによる知恵シリーズ 9 全国の伝承江戸時代人づくり風土記 』(加藤秀俊/〔ほか〕編纂 農山漁村文化協会 1989)
p112-120に烏山和紙について記されています。西の内紙と程村紙を挙げて「西の内紙は常陸を代表し、程村紙は下野を代表する紙として有名」と述べられています。江戸時代には、「藩の「御用紙」として領主の保護・奨励を受けながら」発展し、藩が幕府に献上する品物にもなった(献上紙)とあり、また「明治三十四年(一九〇一)には、衆議院議員選挙投票用紙に程村紙と西の内紙が指定され、全国的にも有名になりました。」(p119)という記述も確認できます。
・『西の内紙』(茨城県那珂郡山方町文化財保存研究会/編 茨城県那珂郡山方町文化財保存研究会 1976)
沿革や生産工程が記されています。p63-64に、「選挙用紙と西ノ内紙」という項があり、選挙用紙に使用された経緯が詳しく記されています。
・『近代における烏山和紙の盛衰』(栃木県立烏山女子高等学校社会部/編 栃木県立烏山女子高等学校社会部 1982)
明治期を中心に記載されています。p24に「この年の10月7日、内務省令第29号により投票用紙は程村又は、西の内紙と規定された。(略)この規定は大正15年(1926)の内務省令で打切られたが(略)」とあります。(「この年」とは、前文の流れからみて「明治33年」のようです。)
・『程村紙・西の内紙』(柳橋眞/著 講談社 1981)
(「和紙-風土・歴史・技法-第26章」より自館複製)
古代からの両紙の歴史がまとめられています。p212に「明治二十三年、衆議院の選挙用紙に西の内と程村が指定されて全国的に再認識され」とあり、他の資料と使用年が異なっていました。
以下の資料には、関連内容の記載が確認できませんでした。
・『下野の手仕事』(柏村祐司/著 下野手仕事会/編 随想舎 2005)
・『烏山和紙』(著者、発行年不明)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- パルプ.製紙工業 (585 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 烏山和紙
- 程村紙
- 西の内紙
- 投票用紙
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000111001