レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年09月19日
- 登録日時
- 2012/05/31 17:20
- 更新日時
- 2012/05/31 17:20
- 管理番号
- 9000006785
- 質問
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解決
山梨県の旧一宮町にある浅間(あさま)神社の「おみゆきさん(御幸祭)」の由来を知りたい。
- 回答
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淳和天皇の天長2年(825年)、国司が水難を朝廷に奏上し、これにより一之宮浅間神社、二之宮(美和神社)、三之宮(玉諸神社)の三社が、三社明神まで神幸する事になったのが始まりとされるが、この起源も定かではない。詳細については照会資料をご確認ください。
- 回答プロセス
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1.『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年)→p334「甲州三御幸(こうしゅうさんみゆき)」及びp21-22「浅間神社(あさまじんじゃ)」の項を見ると、「おみゆきさん」は淳和天皇825(天長2)年国司の命で、4月第2亥の日に、二の宮(美和神社)、三の宮(玉諸神社)との3社により、釜無川に沿った三社神社へ行われた公祭「東御幸」。
2.郷土資料の祭礼・祭祀関係資料を調査。
・『甲斐路ふるさとの風物(ふるさと自慢シリーズ)』(山梨県編集 山梨日日新聞社 1986年)→p74-75に「一之宮おみゆきさん」、「天長二年(八二五)の時の国司が勅使を迎えて、ここ甲斐一之宮から二之宮(美和神社)三之宮(玉諸神社)を経て、竜王町赤坂山麓にある、水防祈願のため御幸(みゆき)を行ったことに始まり…」。
・『山梨県の祭り・行事:山梨県祭り・行事調査報告書』(山梨県祭り・行事調査委員会編集 山梨県教育委員会 1999年) [資料番号0103500716]→p94-95「御幸祭」の項に祭の内容について詳述。「由来伝承」があるが、祭の由来についての記述はない。
・『山梨の祭り(山日カラーブックス)』(若林賢明著 山梨日日新聞社 1983年)[資料番号0103517447]p85「おみゆき(大御幸)さん」、『祭礼行事・山梨県:都道府県別』(高橋秀雄編 おうふう 1995年)[資料番号0103098455]p22,p84-85「おみおゆき祭り」には、由来についての記述なし。
3.浅間神社誌を調査。
※『甲斐国一之宮浅間神社誌』(鎌田純一編 浅間神社(山梨県一宮町) 2005年)→第12章「祭儀」p177-189に神幸祭について記述。祭の起源について検証している。
・『甲斐叢記』淳和天皇の御宇天長10(833)年
・『甲斐名勝志』「一説に淳和天皇天長年中始ると云」
・『東八代郡誌』淳和天皇御宇天長2(825)年説と光孝天皇御宇仁和2(886)年説
・『後宇多院御領目録』武田晴信時代弘治(1555年)ごろ
・『甲陽代々鑑』晴信時代
※『おみゆきさんを語る』(一宮町生きがいづくりアドバイザー協議会編集 浅間神社 1998年)→p88-89に「神幸「おみゆきさん」のはじまり」、『東山梨郡誌』による起源を紹介。
4.県史、市町村史の調査。
・『一宮町誌』(一宮町誌編纂委員会編 一宮町 1967年)→p1355「社記によると、淳和天皇の天長二年(八二五年)国司が水難を朝廷に奏上し、これにより美和神社(二の宮)玉諸社(三の宮)と共に三社が神幸する事になった。しかしこの天長二年(八二五年)と言うのは、浅間神社が造営される四十年前であるから、この起源も定かではない。」
『竜王町史 本編』(竜王町史編さん委員会企画 竜王町 2004年)[資料番号0104212436]p787-796「おみゆきさん(御幸祭)」の項、『山梨県史 民俗編』(山梨県編集 山梨日日新聞社 2003年)[資料番号0103639993]p334-335に「お御幸さん」に関する記述があるが、由来についてはなし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 9版)
- 参考資料
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- 『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年) (p21-22,334)
- 『甲斐路ふるさとの風物(ふるさと自慢シリーズ)』(山梨県編集 山梨日日新聞社 1986年) (p74)
- 『甲斐国一之宮浅間神社誌』(鎌田純一編 浅間神社(山梨県一宮町) 2005年) (p177-189)
- 『おみゆきさんを語る』(一宮町生きがいづくりアドバイザー協議会編集 浅間神社 1998年) (p88-89)
- 『一宮町誌』(一宮町誌編纂委員会編 一宮町 1967年) (p1355)
- キーワード
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- お御幸さん
- 御幸祭
- お川除け
- 浅間神社
- 三社明神
- 祭り
- 笛吹市
- 甲斐市
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土(民俗・伝説)
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000106710