レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/03/06
- 登録日時
- 2007/08/02 02:11
- 更新日時
- 2009/11/20 16:18
- 管理番号
- 埼久-2007-008
- 質問
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解決
第22代埼玉県知事の野手耐(ので たえる)について調べている。略歴、生年月日~没年、出身地、功績等々の履歴、人物史がわかる資料はないか。
- 回答
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埼玉関係資料を調べた中では『埼玉人物事典』(埼玉県 1998)p626〈ので たえる 野手 耐〉の項目の記述がもっとも詳しい。以下、引用。
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ので たえる 野手 耐
明治9.8.17-昭和20.8.6(1876-1945)
埼玉県知事。茨城県豊田郡(下妻市)生まれ。
父一郎は自由党の志士として有名。
東京帝国大学法学部卒業後、官界の途を歩んだ。
朝鮮総督府税関長・同府営林廠長等を務め、
大正13年(1924)退官したが、昭和2年第22代
埼玉県知事に抜擢された。在任半年で、和歌山県
知事に転任し、ここでは在任1年9か月で病気を
理由に退官した。その後同志社商業高等学校長
を務め、広島で弁護士を営んだが、原爆にあい、
その犠牲となった。
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この記述をもとに他の資料と関連機関のWeb情報をあわせて紹介する。
- 回答プロセス
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『埼玉人物事典』の記述以外では、『埼玉県行政史 2』(埼玉県県政情報資料室 1990)p1015の埼玉県幹部職員名簿に、「昭和2.5.17 知事 昭和2.11.7 和歌山県知事」との記載があり、着転任の年月日がわかる。また、p1090「年表 昭和2年」の該当部分には在任中の県行政の動きが記載されており、本文とつけ合わせながら野手県政下の動向を知ることができる。
上記の2点の資料の野手の記述・記載は「県官進退緑・履歴」という行政文書が出典になっていると考えられる。この原本は埼玉県立文書館が収蔵。半年余りの在任で、転任以前のことのみの記載に限られると思われるが、『埼玉人物事典』編さん当時の資料が残っている可能性もあり、文書館の「史料編さん担当」へ尋ねるのも方法である。
文書館のWebサイトは(http://www.pref.saitama.lg.jp/A20/BA18/top.html)。以下、Web情報はすべて2007/03/06最終確認。
この他手がかりになるのは、
①知事在任期間の長かった和歌山県の公文書・行政資料の保存館、「和歌山県立文書館」のWebサイト
(http://www.wakayama-lib.go.jp/monjyo/start/news.html)となっており、問合せが可能。
②私学法人同志社の校長を務めたことから、「同志社大学同志社社史資料センター」
(http://joseph.doshisha.ac.jp/社史タイトル2.htm)に問合わせが可能。
③弁護士生活の地、広島で爆死したと記述があったので、「広島平和記念資料館」
(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/top.html)へ直接問合わせることなどが方法と考えられる。
以上を紹介する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉人物事典』(埼玉県 1998)
- 『埼玉県行政史 2』(埼玉県県政情報資料室 1990)
- キーワード
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- 野手 耐(ノデ タエル)
- 埼玉県-知事
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 定番事例-参考資料-埼玉人物事典-解決
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000036373