レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年06月17日
- 登録日時
- 2010/10/30 18:00
- 更新日時
- 2010/11/02 09:20
- 管理番号
- 9000006546
- 質問
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解決
昭和19年に鹿児島県徳之島沖合で富山丸が沈没した。このことについて書かれている資料があるか。
- 回答
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独立混成第44、45旅団、第32軍兵器勤務隊などを乗せた富山丸(約8,000トン)は、昭和19(1944)年6月29日午前7時20分頃徳之島東方を航行中に、アメリカの潜水艦の雷撃を受けて沈没し、乗船部隊約4,600名のうち約3,700名が行方不明となった。富山丸の遭難は、南西諸島の兵力配備の構想にも大きな影響を与えた。
- 回答プロセス
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1.自館システムでの検索は未ヒット。百科事典類には記載なし。
2.インターネットの検索エンジンで検索するとwikipediaの記事(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E4%B8%B8 ※2010.10.30確認)がヒットし概要がわかる。参考資料として、『燃える海:輸送船富山丸の悲劇(南島叢書)』(福地曠昭編著 海風社 1989年)、『商船戦記:世界の戦時商船23の戦い(光人社NF文庫)』(大内建二著 光人社 2004年)などが挙げられているが、いずれも所蔵していない。また四国新聞社webサイトの「「富山丸」戦没60周年慰霊の旅」(http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/261/index.htm ※2010.10.30確認)がヒット、徳之島に慰霊碑があり慰霊祭が行われていることなどがわかった。
3.『沖縄大百科事典』中巻(沖縄大百科事典刊行事務局編集 沖縄タイムス社 1983年)に「富山丸遭難事件」の項がある。
4.朝日新聞データベース「聞蔵」で「富山丸」を検索すると、「朝日新聞」朝刊1995年4月13日付東海総合面に掲載の記事がヒットし、「最後の疎開船」という記事があり米軍の来攻に備えて第三十二軍に編入された兵団が内地や中国から沖縄に派遣され、昭和19年6月25日に鹿児島から沖縄に向けて出発した富山丸はその4日後に徳之島東でアメリカ潜水艦の雷撃で沈没。出典は「(防衛庁戦史室『戦史叢書』)」と書かれている。
5.『沖縄方面陸軍作戦(戦史叢書)』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1968年)を見ると、第3章「マリアナの失陥と捷号作戦準備」2「南西諸島の防備強化と大本営の指導」に「独立派遣団の遭難」の項があり、富山丸の遭難についての記述がある。
6.自館システムで件名「商船」を検索し、『商船が語る太平洋戦争:商船三井戦時船史』(野間 恒編著・発行 2002年)を見ると、富山丸についての記述があり、遭難、戦没者名等について書かれている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 九州地方 (219 9版)
- 参考資料
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- 『沖縄大百科事典』中巻(沖縄大百科事典刊行事務局編集 沖縄タイムス社 1983年) (p967)
- 『沖縄方面陸軍作戦(戦史叢書)』(防衛庁防衛研修所戦史室著 朝雲新聞社 1968年) (p51-52)
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『商船が語る太平洋戦争:商船三井戦時船史』(野間恒編著・発行 2002年)
(p297-298)
- キーワード
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- 富山丸
- 独立混成旅団
- 第32軍
- 沖縄戦
- 太平洋戦争
- 遭難
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 日本の歴史
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000073068