レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年12月09日
- 登録日時
- 2009/02/19 14:08
- 更新日時
- 2009/02/19 14:08
- 管理番号
- 福井県図-20081209
- 質問
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解決
平岡脳病院・更正会病院(トミタチヨが設立に関わる)が、軍の施設を経て、福井県立病院になるまでの経緯を知りたい。
- 回答
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更生会病院(資料によっては厚生会病院)は、福井初の結核専門療養所として、昭和6年に富田
千代(資料によって冨田)によって開設され、平岡脳病院は収益向上を目的として隣接地に建設された。その後更生会病院は、昭和13年に陸軍病院に接収(2年後契約解除)、昭和19年(資料によっては20年)には日本医療団に接収され、福井中央病院として発足するも空襲で壊滅。隣接の平岡脳病院を借用移転し総合病院として再発足するが、日本医療団は占領政策によって昭和22年に解散。病院は福井市への移管がほぼ決定していたが、昭和23年の大震災により計画は頓挫。国庫補助金による応急修理などを経て、県への移管が決まり、昭和25年4月に福井県立病院として発足する。
下記2資料『病院事業概要/創立25周年記念』『結核の歴史』より
- 回答プロセス
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1.自館OPACで“郷土資料”&“県立病院”で検索→記念誌の類を探すと2件ヒットする
○『病院事業概要/創立25周年記念』1975年/福井県立病院・・・p3「沿革」に該当事項の記載あり
×『福井県立病院創立50周年記念誌』2000年/福井県立病院・・・該当事項の記載なし
2.関連書架をブラウジングする
○『結核の歴史』白崎昭一郎著・発行/1986年
*『結核の歴史』は、『福井県医師会史・第2巻』所収の「福井県を中心とした結核の消長」の抜刷冊子
・・・p455~457「更生会病院の開設」に記載あり。
△『福井県医師会史・第1巻年表編』福井県医師会編・発行/1984年
・・・p164に“昭和6年3月29日、日富田千代ら福井市平岡山に更生会病院の建設に着手(中略)(現県立病院の前身)”、p167に“昭和7年5月1日、更生会病院・平岡脳病院、開院式”の記載あり。
*それ以後“昭和25年/県立病院、県立精神病院開設”まで関連事項の記載なし。
△『福井県看護史』福井県保健婦助産婦看護婦協会編・発行/1980年
・・・p81~92とp125~127に、冨田病院(大正8年、冨田千代によって開設)附属産婆看護婦養成所と日本医療団福井県中央病院(福井更生会病院の移管先)附属看護婦養成所の概要と卒業生の手記あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 医学 (490 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 福井県立病院
- 更正会病院
- 平岡脳病院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000051744