レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年10月28日
- 登録日時
- 2013/04/19 12:26
- 更新日時
- 2013/04/19 12:26
- 管理番号
- 20121028-1
- 質問
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解決
金沢市野町の開禅寺は、「当寺は、二代利長と共に高岡から移転」とホームページにあるが、前田利長は高岡で死んだはずなのになぜか。
- 回答
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(1)『加能郷土辞彙 改訂増補』日置謙編 北国新聞社 1979.6(K030/1)p152、開禅寺の説明に
「もと越中守山に草創。後前田利長の金沢に移るや、又この地に転じ」とあるのが、この典拠らしい。
越中守山城は現高岡市。
(2)前田利長が金沢に移った経緯は、
『加賀百万石をつくった名君前田利長』 池田公一著 新人物往来社 2010.2(K288.5/1079)巻末「利長関係年表」によると
「1585(天正13)9月、利長が越中三郡を拝領、居城を加賀松任城から越中守山城へ移す」
「1597(慶長2)富山城を築き、居城を守山より移す」
「1599(慶長4)8月、利長が加賀に下向」とある。
(3)なお、『加越能寺社由来 上巻』日本海文化研究室編 井上鋭夫校訂 石川県図書館協会 1974.4(K165/9/1)p237の貞享2年の開禅寺の由緒書上には、
「当寺開闢者、珠厳和尚寛正元年ニ建立・・・然所長恕安先祖牌所能州ニ御座候得共、遠所故忌日之参詣不罷成候ニ付、微妙院様江長故九郎左衛門訴訟申上、屋鋪致拝領先祖之位牌立置・・・」とあるが、『加能郷土辞彙 改訂増補』によると、この記述を誤りとしている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 参考資料
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- 『加能郷土辞彙 改訂増補』日置謙編 北国新聞社 1979.6(K030/1)
- 『加賀百万石をつくった名君前田利長』 池田公一著 新人物往来社 2010.2(K288.5/1079)
- キーワード
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- 開禅寺
- 前田利長
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000130617