レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年06月27日
- 登録日時
- 2010/08/18 13:06
- 更新日時
- 2010/09/29 16:21
- 管理番号
- 20100627/103
- 質問
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解決
蓮如の母について知りたい。
- 回答
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金龍静によると、「巧如の亡き妻に仕えていた無名の一女性」で、「生国にかんしては、二説あるが、そもそも周囲の人々が、出身地の方言を混同して記憶するはずないとの前提にたつと、豊後(大分県)の「とも」の出身ということになる」としている。(『蓮如 歴史文化ライブラリー21』金竜静著 吉川弘文館 1997.8 188.7/10015 p6)
もう一つの説は、「備後国(岡山県)尾道あたりの人」というもので、『蓮如 人物叢書109』(笠原一男著 日本歴史学会編 吉川弘文館 1974.6 K188/14 p5)『蓮如のすべて』早島鏡正編 新人物往来社 1995.11 188.7/565 p37-39)に記されている。
近著『民衆の導師蓮如 日本の名僧13』(神田千里編 吉川弘文館 2004.5 188.7/10171 p21-22)では、「存如の召使だった母は、蓮如が六歳の時、存如が幕府直臣の海老名氏から制裁を迎えることが決まったのを機に、子供の将来を思って身を引くべく本願寺を出奔したと伝えられる。・・・母が出奔したのは確からしい。・・・空善は備後にいるとの情報を得て、奔走したと記しているから、おそらく事実なのだろう」と出奔について記すが、出身地については言及していない。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 参考資料
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- 『蓮如 歴史文化ライブラリー21』金竜静著 吉川弘文館 1997.8 (188.7/10015)
- 『蓮如 人物叢書109』(笠原一男著 日本歴史学会編 吉川弘文館 1974.6 (K188/14)
- 『民衆の導師蓮如 日本の名僧13』(神田千里編 吉川弘文館 2004.5 (188.7/10171)
- キーワード
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- 蓮如
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000070153