レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年06月16日
- 登録日時
- 2010/08/12 13:48
- 更新日時
- 2010/09/29 16:18
- 管理番号
- 20100616/90
- 質問
-
解決
金沢で食されているどじょうの蒲焼は、幕末から明治初期に長崎から流されてきたキリシタンが広めたとされているが、事実か。
- 回答
-
北国新聞データベースで「どじょう 蒲焼」をキーワードに検索したところ、2007年7月13日朝刊24面「石川を食す ドジョウのかば焼き(金沢市) 明治以来の盆の味」という記事があった。
「ドジョウのかば焼きの始まった時期には諸説あるが、明治初期が有力だ。金沢の郷土史家和田文次郎(一八六五―一九三〇)は著書「金沢叢語(そうご)」で起源について、長崎から金沢へ明治二(一八六九)年に預けられ同六年に帰されたキリシタンが街中で売り歩いたことにあるとしている。ドジョウのかば焼きの味は、すぐさま金沢の人々の舌を魅了し、大正時代には盛んに作られた。和田は大正から昭和にかけて執筆した「稿本金沢市史」の中で、奴豆腐やいなだと並ぶ盆の味として「鰌(どじょう)の蒲焼(かばやき)」を挙げている。」
確認したところ、『金沢叢語』(加越能史談会 1925.11 K222/11)上61頁に、「また宗徒は草履を作り又は鰌の蒲焼を市中に売り歩いていた今、市中に鰌の蒲焼の行はるはこれを嚆矢とする」とあり、『稿本金沢市史 風俗編 第一』(金沢市 1927 K222/4/12)p177「土用」の項に、「金澤にては、土用に餅を食ひ、武家には鰻を食ひ、町屋には鰌を食ふを例としたれども、方今鰌の蒲焼を鰻に代ふること行はる」とあった。
『北陸のキリスト教』(梅染信夫/編著 桂書房 2005.5 K190.2/1009)p40に、「[流刑者は]これでは体が持たないので、ツクシを摘んできて味噌汁の具とした者、また泥鰌をとってきて食べたものがいた」とあり、何か原資料があると思われるが、見つけられなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 衣食住の習俗 (383 9版)
- キリスト教史.迫害史 (192 9版)
- 参考資料
-
- 『金沢叢語』加越能史談会 1925.11 (K222/11)
- 『稿本金沢市史 風俗編 第一』金沢市 1927 (K222/4/12)
- 『北陸のキリスト教』梅染信夫編著 桂書房 2005.5 (K190.2/1009)
- キーワード
-
- 金沢市
- キリシタン
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000070047