レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年04月08日
- 登録日時
- 2014/09/07 11:52
- 更新日時
- 2022/06/02 14:41
- 管理番号
- 鎌中―2014062
- 質問
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解決
鎌倉市玉縄にある「龍宝寺トンネル」はいつできたのか。
- 回答
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明治42年ごろに玉縄学舎の学務委員を務めたこともある角田所作(左)衛門が村議会を動かし、私財も投入して素掘りのトンネルを作ったのが一番はじめのようです
昭和11年に現在のトンネルの片側(龍宝寺側)が開通し、昭和44年にもう一方も開通して、現在のメガネ型トンネルが完成しました。
名称については、昭和40年に今の「龍宝寺トンネル」という名称になりました。
- 回答プロセス
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①鎌倉の古い明細地図を見る。昭和34年の時点で「竜宝トンネル」がある。できたのはこれより以前ということになる。
②「龍宝寺」のトンネルなので、龍宝寺について書かれた本を見る。
『陽谷山 龍寶寺』によると
p7 「大正8年(1919)玉縄小学校へ岡本部落より通学する生徒のためにトンネルができました」
p9 「大きいトンネルを古いトンネルの下部に新しく作りました」(大正14年頃)
p17「(昭和40年)今と異なる名前が仮称でついていることを知りました。(中略)県の藤沢土木に交渉し、龍宝寺トンネルと名付ける事が出来ました」
③玉縄小学校に関係が深いようなので、玉縄小学校について書かれた本を見る。
『開校百年 玉縄小学校創立百周年記念誌』によると
p28「私の卒業年にトンネルはできたのだ。今よりはとても小さい」(明治43年卒業生の話)
『鎌倉教育史』によると
p103「和尚と学務委員の角田所左衛門(つのだ しょざえもん)さんが中心になって村に働きかけ、岩をくりぬいて小さなトンネルを作りました」(明治40年ごろからの玉縄小学校の様子)
④『としよりのはなし』によると、
P328「大正十二年の大地震後に、前のトンネルの下に広いトンネルが掘られた(県道関谷線でこのトンネルも掘り崩された)」
回答終了後、平成26年に発行された『玉縄の歴史と文化~玉縄風土記~』に、「トンネル」について書かれた箇所があり。p206。こちらは角田「所作」衛門という表記になっている
以上より回答。
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 8版)
- 日本 (291 8版)
- 幼児.初等.中等教育 (376 8版)
- 参考資料
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- 『玉縄の歴史と文化 ~玉縄風土記~』 玉縄歴史の会 平成26 P206
- 『陽谷山 龍宝寺史』 團野弘之 龍宝寺 1995 P17 「龍宝寺トンネル」という名称になった経緯
- 『開校百年 玉縄小学校創立百周年記念誌』 創立百周年記念誌編集委員会 玉縄小百周年記念事業実行委員会 1974
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『鎌倉教育史』 鎌倉市教育研究所 鎌倉市教育委員会 1974
P103 - 『としよりのはなし』 鎌倉市教育委員会 平成2
- キーワード
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- 龍宝寺トンネル りゅうほうじ とんねる
- 龍宝寺 りゅうほうじ
- 竜宝寺
- トンネル
- 玉縄小学校 たまなわ しょうがっこう
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000159548