明治37年のセントルイス万博について
1.『明治期万国博覧会美術品出品目録』(東京国立文化財研究所美術部/編 1998.3)【703.8/25N】p.351-352「セントルイス万博出品目録」を見ておりますと、
【染織刺繍】227 雪ニ烏 刺繍壁掛 京都 飯田新七
228 緑林 刺繍額 京都 飯田新七
229 ライオン 刺繍壁掛 京都 飯田新七
230 孔雀 刺繍壁掛 京都 飯田新七
232 虫干ノ図 綴錦壁掛 京都 西村治兵衛
233 春暖 刺繍壁掛 京都 西村総左衛門
234 松ニ鶴 刺繍屏風 京都 西村総左衛門
236 春 扁額刺繍 京都 西村総左衛門
237 夏 扁額刺繍 京都 西村総左衛門
238 秋 扁額刺繍 京都 西村総左衛門
239 冬 扁額刺繍 京都 西村総左衛門
241 松ニ猿 刺繍額 京都 田中利七
242 孔雀 刺繍額 京都 田中利七 とありますがここに若冲図は出てきていません。ここには二代目川島甚兵衛の名前はでてきませんが、受賞目録に92.京都 川島甚兵衛 とでてきております。
2.”The Illustrated catalogue of Japanese fine art palace at the Louisiana Purchase exposition, St.Louis, Mo USA"(Louisiana Purchase Exposition 1904)【D/48】のcontents【Art work in textiles】には
Wall hanging,Embroidery,crows in snow,by Iida(Shinhichi)kioto.
Panel,Embroidery, green forest by Iida (Shinhichi)Kioto
Wall hanging Embroidery, lion by Iida(Shinhichi),Kioto
Wall hanging,Embroidery peacock, by Iida(shinhichi),Kioto
Wall hanging,Embroidery,warm spring by Nishimura(Sozaemon),Kioto
Screen,Embroidery,pine tree and storks,by Nishimura(Sozaemon),Kioto
Panel, Embroidery,summer,by Nishimura(Sozaemon),Kioto
Panel,Embroidery,spring,by Nishimura(Sozaemon),Kioto
Panel,Embroidery,winter,by Nishimura(Sozaemon),Kioto
Panel,Embroidery,autumn,by Nishimura(Sozaemon),Kioto
Panel,Embroidery,peacok,by Tanaka(Richi)),Kioto
Panel, Embroidery,pine tree and monkey,by Tanaka(Richi)),Kiotoここにも若冲図は載っておりません。
3.『錬技抄:川島織物145年史』(川島織物/編 1989)【586.7/2N】p.120に「蒙古襲来図は37年のアメリカ・セントルイスの万国博に出品した作品で、原図は守住勇魚の描いた油絵であった。このころの甚兵衛は西洋画の油絵を原画として、色調を綴錦によって表現する仕事にとりくんでいたが、その快心の一作が「蒙古襲来図」であった。セントルイス万国博には、この作品と一緒に若冲動植物彩画図壁張15枚連作も出品された。この作品は、生物画を得意とした伊藤若冲の30幅の原画からとくに15幅を選んでこれに金蒔絵の枠を張り、室内装飾用の壁張として仕上げたものであった。」とあります。またp.121にはセントルイス万博のために出品した、伊藤若冲の「動植物彩画図」壁張の下絵があります。p.322に和風モデルルーム「若冲の間」の写真があります。またp.6(年表)の1904年にセントルイス万国博覧会に和風モデルルーム「若冲の間」「網代の間」を出展、綴錦壁掛「蒙古襲来の図」「応挙瀑布の図」出品とあります。
4.インターネットで「セントルイス万博x若冲の間」で検索すると若冲の間の写真とその下に掛けられた綴織装飾の写真があります。
5.川島織物セルコン織物文化館に現在展示されているかどうか尋ねたところ展示していないと言われましたが、「若冲の間綴織壁面装飾『動植物綵絵』使用および配置図」を送ってくれました。それによると、「菊花流水図・雪中鴛鴦・紅葉小禽図・蓮池遊魚・池辺群虫図・群鶏図・老松孔雀図・紫陽花双鶏図・芍薬群蝶図」あとひとつはわからないそうです。15枚のうち10枚が若冲の間に飾られていたそうで他の5枚は別のところに掛けられていたのではといっておられました。
6.『聖路易博覧会準備進行ノ状況:在シカゴ帝国領事舘報告』【807/34/#】、『〔明治37年聖路易博覧会日本館日本服飾写真図〕』(臨時博覧会事務局/編 1904)【577/28/#】、『聖路易万国博覧会報告書』(大阪出品同盟会 19--)【807/143/#】等も調査いたしましたが、出品目録も、川島甚兵衛の名前も掲載されておりませんでした。