レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/07/14
- 登録日時
- 2023/08/02 00:30
- 更新日時
- 2023/08/21 11:34
- 管理番号
- 秋田-2940
- 質問
-
解決
ヴァージニア・ウルフを日本で最初に翻訳したとされる秋田市土崎港出身の葛川篤(本名:刈田儀衛)について、以下のことが知りたい。
1. 葛川篤の幼年期から10代半ばまで(大学進学以前)の様子について
2. 明治40年頃〜大正16年頃の、土崎港の若者の風俗について
- 回答
-
以下の資料とホームページを案内。
1. 葛川篤の幼年期から10代半ばまで(大学進学以前)の様子について
①『秋田県立秋田中学校同窓会報 9号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1923、A376/552/9)資料番号:111993309
②『秋田県立秋田中学校同窓会報 13号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1927、37-E422/25/)資料番号:111485975
③『秋田県立秋田中学校同窓会報 14号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1928、37-E422/25/)資料番号:111485983
④『秋田県立秋田中学校同窓会報 15号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1929、37-E422/25/)資料番号:111485991
⑤『秋田県立秋田中学校同窓会報 16号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1930、37-E422/25/)資料番号:111486007
⑥『羽城 50号〜55号』(秋田県立秋田中学校校友会/編、秋田県立秋田中学校校友会、1921、A376/16/)資料番号:111483285
⑦秋高同窓会だより 第13号(昭和56年12月19日)
https://akitahs-doso.jp/dayori/13/dayori_13.pdf(確認日付:2023.7.7)
2. 明治40年頃〜大正16年頃の、土崎港の若者の風俗について
⑧『龍の星霜 異端の劇作家青江舜二郎』(大嶋 拓/著、春風社、2011、912/オリ/郷)資料番号:124435173
⑨『土崎案内記』(泉谷兵吉/著、土崎商報社、1912、A291.5/14/)資料番号:110751104
※国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
https://dl.ndl.go.jp/pid/763390/1/55(確認日付:2023.7.9)
⑩『土崎郷土史要』(土崎知善/著、土崎読書会、1920、214.5/ツツ/)資料番号:124032186
※国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
https://dl.ndl.go.jp/pid/961021/1/72(確認日付:2023.7.9)
⑪『伝統は生きている 秋高青春史』(サンケイ新聞社秋田支局/編、明昭会、1965、376/サデ/郷)資料番号:128365988
⑫『港魂 土小百年史』(創立百周年記念実行委員会記念誌編集部/編、秋田市立土崎小学校創立百周年記念協賛会、1975、376.2/ソミ/)資料番号:111332318
- 回答プロセス
-
1. 所蔵資料検索、デジタルアーカイブ検索、さきがけデータベース(当館導入有料データベース)検索(キーワード:葛川篤、刈田儀衛)
→該当資料なし。
2.事前調査より、葛川が青江舜二郎と同郷の友人であったことから、青江舜二郎関連の資料を調査。
⑧『龍の星霜 異端の劇作家青江舜二郎』(大嶋 拓/著、春風社、2011、912/オリ/郷)資料番号:124435173
→P28 「進級した長三郎(註:青江舜二郎)は、土崎港から通っていた佐藤三郎という同級生と親しくなる。土崎港は現在では秋田市に編入されているが、当時は独立した港町で、自由闊達な気風を備え、歴史に縛られた城下町・秋田市の保守性とははっきり対をなしていた。また、同じころ土崎港出身の小牧近江、金子洋文、今野賢三らによって『種蒔く人』が創刊されたことでも明らかなように、文化芸術方面での活動も秋田市以上に盛んであった。(中略)土崎の中学生たちは汀友会という組織を持ち、文芸雑誌をもち、(中略)音楽にもすぐれ、恋愛や遊蕩にきわめて早熟だ。(以下略)」と記載あり。
→P34 「佐藤は一九二一(大正十)年に土崎で創刊された『玫瑰』という文芸雑誌の同人で、秋田中学在学中から作品を発表していたが(以下略)」と記載あり。
→P42 「一九二四(大正十三)年の三月、『玫瑰』は十号を出して休刊となり、翌年二月、東京に来ている同人たちは新たに『北』という文芸雑誌を創刊した。」と記載あり。
3.佐藤三郎と刈田儀衛に親交があったと想定して、インターネット検索(キーワード:”佐藤三郎” ”刈田儀衛” ”土崎”)
→以下のホームページが該当。
⑦秋高同窓会だより 第13号(昭和56年12月19日)
https://akitahs-doso.jp/dayori/13/dayori_13.pdf(確認日付:2023.7.7)
→P8 「「「汀友」七号とその周辺」の項に「「種蒔く人」発刊に先立って土崎で刊行された文芸誌は大正八年の「新港湾」があり、同人の中に佐藤三郎氏がいる。この「新港湾」は大正十年十一月創刊の「玫瑰」に合流し、この「玫瑰」の同人に、詩林に「薄暮」という詩を寄稿した刈田儀衛氏等がいる。」という内容の記載あり。
※文芸誌「玫瑰」については、当館に所蔵がなく、他館の所蔵も確認できず。
4.刈田儀衛が秋田高等学校(当時の秋田中学)の卒業生であったことから、当時の同窓会名簿および校友会誌を確認。
①『秋田県立秋田中学校同窓会報 9号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1923、A376/552/9)資料番号:111993309
→會員名簿P41 「刈田儀衛」と記載あり。(氏名、卒業又半途退學年次、業務又ハ勤務先、現住所の順に記載)
※当館所蔵の8号までには記載なし。10号も同様の記載あり。11号、12号には記載なし。
②『秋田県立秋田中学校同窓会報 13号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1927、37-E422/25/)資料番号:111485975
→會員名簿P22 「刈田儀衛」と記載あり。
③『秋田県立秋田中学校同窓会報 14号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1928、37-E422/25/)資料番号:111485983
→會員名簿P18 「刈田義衛」と記載あり。
④『秋田県立秋田中学校同窓会報 15号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1929、37-E422/25/)資料番号:111485991
→會員名簿P18 「刈田義衛」と記載あり。
⑤『秋田県立秋田中学校同窓会報 16号』(秋田県立秋田中学校同窓会/編、秋田県立秋田中学校同窓会、1930、37-E422/25/)資料番号:111486007
→會員名簿P20 「刈田義衛」と記載あり。
※17号、18号も同様の記載あり。19号では現住所記載なし。20号、21号、22号、23号では現住所に「東京市同行」と記載あり。24号は欠号につき未確認。25号、26号には氏名の記載なし。
⑥『羽城 50号〜55号』(秋田県立秋田中学校校友会/編、秋田県立秋田中学校校友会、1921、A376/16/)資料番号:111483285
→第五十二號(大正十二年二月一日發行)P27-28 「海原を(詩) 第四學年 刈田儀衛」の記載あり。
5.⑦⑧の資料に記載のあった「汀友会」について調査。国立国会図書館デジタルコレクション検索(キーワード:汀友会)
⑨『土崎案内記』(泉谷兵吉/著、土崎商報社、1912、A291.5/14/)資料番号:110751104
→P72 「汀友會 土崎出身の中學生より成り雑誌を發行し又た運動を奨勵し元気潑溂たり。會員百二十名を有す。」と記載あり。
※国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
https://dl.ndl.go.jp/pid/763390/1/55(確認日付:2023.7.9)
⑩『土崎郷土史要』(土崎知善/著、土崎読書会、1920、214.5/ツツ/)資料番号:124032186
→P123 「土崎汀友會 本町出身の中學生及同卒業生より成れるもので、相提携して學業の向上を圖り、又運動を獎勵するものである。」と記載あり。
※国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
https://dl.ndl.go.jp/pid/961021/1/72(確認日付:2023.7.9)
6.Googleブックス検索(キーワード:汀友会)
⑪『伝統は生きている 秋高青春史』(サンケイ新聞社秋田支局/編、明昭会、1965、376/サデ/郷)資料番号:128365988
→P65 「大正編」の項に「そのころ、秋田市の隣町、土崎港町から秋田中学に通う生徒は二十人もいた。この生徒たちは早くから「汀友会」というものをつくり、誘いあって徒歩で学校に通った。(中略)汀友会員は、いつも学校の校僕室(いまの小使室)近くの井戸端に集まって、よくかの女らのことを談笑のツマにしたものだ。」と記載あり。
7.土崎小学校の記念誌を確認。
⑫『港魂 土小百年史』(創立百周年記念実行委員会記念誌編集部/編、秋田市立土崎小学校創立百周年記念協賛会、1975、376.2/ソミ/)資料番号:111332318
→P32 金子洋文先生は、大正二年から大正五年まで、本校において代用教員を勤められた。(中略)学科も算術の時間に、ユーゴ―の「レ・ミゼラブル」を読んでくれたりした。その話がおもしろくて、生徒の方からセビルありさまだった。(以下略)」と記載あり。
※葛川(刈田)が在籍していたことは確認できず。
※その他、明治から大正期にかけての子どもたちの様子について記載あり。
記載のなかった資料は以下のとおり。
×『土崎港町史』(秋田市役所土崎出張所/編、歴史図書社、1979、214.5/アツ/郷)資料番号:147093884
×『土崎郷土読本』(土崎郷土研究会/編、みしま書房、1981、A214.5/114/)資料番号:110764735
×『土崎発達史』(今野健三/編、美巧印刷、1990、214.5/イツ/郷)資料番号:129272126
×『土崎の史誌 土崎港町・秋田市合併50周年記念誌』(土崎港町・秋田市合併50周年記念誌編纂委員会/編、土崎史談会、1992、214.5/ツツ/郷)資料番号:124015025
×『みなと 創立80年記念』(秋田市立土崎小学校/編、秋田市立土崎小学校、1954、A376/964/)資料番号:124155417
×『東北近代文学事典』(日本近代文学会東北支部/編、勉誠出版、2013、910/ニト/郷)資料番号:129638433
×『『秋田魁新報』文芸関係記事年表稿 昭和篇1 金沢大学教育学部紀要人文科学・社会科学編 第46』(森英一/著、1997、A071/55/)資料番号:128411584
×『『秋田魁新報』文芸関係記事年表稿 大正篇 雑誌記事切抜』(森英一/著、A071/22/)資料番号:110713328
×『秋田文芸人名録』(秋田文芸人名録刊行会/編、秋田文芸人名録刊行会、1928、A910/1/)資料番号:111597738
×『郷土文芸研究 1集』(秋田大学郷土文芸研究会/編、秋田大学郷土文芸研究会、1967、A910/6/1)資料番号:112410212
×『秋田明治文芸史 <文人儒者>の変容と終焉』(井上隆明/著、東洋書院、1996、902/イア/郷)資料番号:124167651
×『秋田文芸人名録稿』(秋田近代文芸史研究会/編、秋田近代文芸史研究会、910/アア/郷)資料番号:111597761
×『秋田文芸人名録稿 第2集』(秋田近代文芸史研究会/編、秋田近代文芸史研究会、1972、A910/2/2)資料番号:111597688
×『秋田県立秋田中学校一覧 大正11年12月』(秋田県立秋田中学校/編、秋田県立秋田中学校、1922、37-17/471/)資料番号:111481297
×『秋高百年史』(秋高創立百周年記念事業実行委員会「秋高百年史」編纂委員会/編、秋田県立秋田高等学校同窓会、1973、376.4/シシ/郷
)資料番号:128109360
×『秋田大学教育学部附属小学校創立百十周年記念誌』(秋田大学教育学部附属小学校創立百十周年記念実行委員会事業局記念誌部/編、秋田大学教育学部附属小学校創立百十周年記念実行委員会、1984、 376.2/アア/郷)資料番号:112020797
×秋田県立図書館デジタルアーカイブ(秋田魁新報記事見出し検索) キーワード:葛原篤、刈田儀衛、汀友会、玫瑰、佐藤三郎
×さきがけデータベース(当館導入有料データベース:秋田魁新報記事見出し検索) キーワード:葛川篤、
刈田儀衛、汀友会、玫瑰、佐藤三郎
- 事前調査事項
-
・『雑誌年鑑 昭和14年版』(日本読書新聞社 編、日本読書新聞社、1939)
→P307 「執筆者・挿繪家名簿」に刈田儀衛の記載あり。
・『文芸年鑑 1937年版』(文芸家協会 編、第一書房、1937)
→P299 「文筆家総覧」の項に「葛川篤」の記載あり。
・『伊藤整全集 第10巻』(伊藤 整/著、河出書房、1955)
→P170 「商科大學では、私は内藤濯氏について十九世紀フランス文學を學んだ。葛川篤(中略)はその時の學友である。」と記載あり。
→236-237 「同級生に故人となった葛川篤(本名刈田儀衛)(中略)がいた。」「葛川は後にヴァージニア・ウルフの「燈臺へ」やジァン・ジオドロウの作品の立派な翻譯をした語學の秀才であった。」と記載あり。
・『伊藤整全集 第14巻』(伊藤 整/著、河出書房、1956)
→P327 「伊藤整年譜」の項に「昭和四年(一九二九年) 葛川篤(刈田儀衛)らと知る」と記載あり。
・『東京商科大学入学要覧 昭和7年版』(東京商科大学一橋消費組合受験相談部 編、東京商科大学一橋消費組合、1933)
→P72 「文藝部」の項に「刈田儀衛」の記載あり。
・『東京商科大学一覧 昭和12年度』(東京商科大学)
→P314 「大正十五年三月修了」の名簿に「刈田儀衛 新潟」と記載あり。
・『四季』(伊藤整 著、赤塚書房、1939)
→P91-93 「友人」の項に、「葛川篤君が死んだ」「本名刈田儀衛」「自分で詩を書いていた」「川崎貯蓄銀行に勤めていたが、病弱であった」「郷里の秋田市土崎港で病を養ふことになった」「青江舜二郎氏と同郷で親しかった」等記載あり。
・『秋田人名大事典』には記載なし。
- NDC
-
- 文学 (9)
- 参考資料
-
- 秋田県立秋田中学校同窓会報9号秋田県立秋田中学校同窓会/編秋田県立秋田中学校同窓会
- 秋田県立秋田中学校同窓会報13号秋田県立秋田中学校同窓会/編秋田県立秋田中学校同窓会
- 羽城50号〜55号秋田県立秋田中学校校友会/編秋田県立秋田中学校校友会
- 龍の星霜大嶋 拓/著春風社
- 土崎案内記泉谷兵吉/著土崎商報社
- キーワード
-
- 葛川篤(クズカワアツシ)
- 刈田儀衛(カリタギエイ)
- 土崎 (ツチザキ )
- 汀友会(テイユウカイ)
- 青江舜二郎(アオエシュンジロウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000336817