レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/09/28
- 登録日時
- 2022/11/02 00:30
- 更新日時
- 2022/11/10 10:20
- 管理番号
- 秋田-2829
- 質問
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解決
伊藤永之介のエッセイ「ショッツル」(中央公論社刊『ふるさとの料理』昭和30年所収)に「中日戦争の初めのころ、北海道旅行中に紋別の漁場で貝焼きに使えるホタテ貝を探した」という記述がある。いつ、何のための旅行だったか知りたい。おそらく昭和12年~15年ごろの事ではないか。
- 回答
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北海道旅行は昭和13年初夏。旅行の目的は別にあったが、出かける前に新聞で鰊の凶漁の記事を見たため、鰊漁関係の地域を訪れている。
以下の資料を案内。
①『伊藤永之介文学選集』(伊藤永之介/著、和泉書院、1999、913/ウイ/郷)資料番号:124235888
②『東京朝日新聞縮刷版』昭和14年2月1日~3日
③『伊藤永之介ほか雑録 2』(新聞切り抜きコピー)(伊藤永之介、発行年不明、イトウ/357)資料番号:128926508
- 回答プロセス
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1.出典の資料を確認。
2.年譜、評伝等で昭和10年代の北海道旅行に関する記事を調査。
①『伊藤永之介文学選集』(伊藤永之介/著、和泉書院、1999、913/ウイ/郷)資料番号:124235888
→P326「エッセイ年譜 昭和14年」の項に「「鰊漁場」(一)~(三)(「東京朝日新聞」2月1日~3日)」と記載あり。
3.朝日新聞を確認。
②「東京朝日新聞縮刷版」昭和14年2月1日~3日
→「鰊漁場」が掲載されている。本文中に「昨年の初夏、北海道に旅行した」「札幌に直行し、そこで一泊して旭川を通って丸瀬布に行きオホツク海に臨む紋別に出て」との記載あり。
また、目的については、旅行の目的は別にあったが、新聞で今年は鰊が凶漁で、秋田県の出稼ぎ漁夫が帰りの旅費を貰うことができず困っているという記事を見たため、上記の地域を訪れた旨が書かれている。
4.以下の資料を確認。
③『伊藤永之介ほか雑録 2』(新聞切り抜きコピー)(伊藤永之介、発行年不明、イトウ/357)資料番号128926508
→②のコピーあり。
※これが該当の旅行かどうか確実ではないが、調査した年譜等の資料には他の昭和10年代の北海道旅行については記載なし。
記載のなかった資料は次のとおり。
×『作家・伊藤永之介 昭和60年度文化振興顕彰事業』(秋田県教育委員会、昭和60年、910/イサ/郷)、資料番号:128758174
×『伊藤永之介生誕百年 深い愛、静かな怒りのリアリズム』(分銅 惇作/編集、至文堂、2003、910/イイ/郷)資料番号:129019196
×『受難の昭和農民文学 伊藤永之介と丸山義二、和田伝』(佐賀 郁朗/著、日本経済評論社、2003、910/イジ/郷)資料番号:124314444
- 事前調査事項
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『ふるさとの料理』(伊藤永之介他著、中央公論社、昭和30年、ササキ/6684)資料番号:128283439
→p19-22 永之介のエッセイ「ショッツル」
- NDC
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- 文学 (9)
- 参考資料
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- 伊藤永之介文学選集 伊藤永之介/著 和泉書院 (「エッセイ年譜」p326)
- 〔伊藤永之介著作ほか雑録〕 〔2〕 伊藤永之介/著
- ふるさとの料理 伊藤永之介/等著 中央公論社 (p19-22「ショッツル」)
- キーワード
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- 伊藤永之介(イトウエイノスケ)
- しょっつる(ショッツル)
- 鰊漁(ニシンリョウ)
- 北海道(ホッカイドウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000323294