レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年09月22日
- 登録日時
- 2023/12/10 12:23
- 更新日時
- 2023/12/14 14:45
- 管理番号
- 000011082
- 質問
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解決
中本たか子の父親の職業と、彼女の家族・先祖が角島でどのように生計を立てていたかについて知りたい。
- 回答
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中本たか子の父親の職業については、複数の資料で記載が異なるため確実なことは明らかでないが、元陸軍軍人で、現役中に一時期中学校の助教諭(体操教師)兼舎監をしていたことがあり、退役後は、角島(豊浦郡豊北町、現・下関市)で経理担当者等をし、山口に移った後は山口市役所に勤めていた可能性がある。(本回答のインターネット情報源の最終確認日は2023年12月10日)
たか子の父親の職業、名前及び彼女の生地については、資料によって記載が異なる。
たか子の父親の名前について、山口県ゆかりの近代文学者についてまとめた下記資料1は「幹雄」、下関市史のうち明治期について記した巻の新旧版である資料2・3は「根隆」、彼女とかかわりの深い角島が属した豊北町の町史である資料4及び彼女の父親の角島での働きについての講演要旨である資料5所収の伊藤忠芳「漁業権紛争と角島村治」(「山口県地方史研究」(31) 山口県地方史学会 1974 p64-65)では「中本幹隆」、たか子の談話と思われる雑誌記事「女性文化人の面影 中本たか子女子」(「女性教養」273号 当館未所蔵、“国立国会図書館デジタルコレクション”に収録)では「幹」としている。
(資料2)下関市市史編修委員会 編『下関市史 : 市制施行以後』,下関市,1958. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3022315/1/305 305コマ目 図書館・個人送信限定資料
(資料4)豊北町史編纂委員会 編『豊北町史』2,豊北町,1994.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9576753/1/238 238コマ目 図書館・個人送信限定資料
(資料5)山口県地方史学会 編『山口県地方史研究』(31),山口県地方史学会,1974-06. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7933601/1/34 34コマ目 図書館・個人送信限定資料
『女性教養』10月(273),日本女子社会教育会,1961-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2735294/1/5 5コマ目 図書館・個人送信限定資料
また、彼女の父親の職業については、資料1には「下士官出身の陸軍中尉で村の収入役を勤めた。」とある。資料2、3には「予備陸軍大尉」とある。資料5には「主計中尉」とある。「女性教養」273号には「中学校の教師や山口市役所の役人など歴任した父母に伴われて」とある。
多くの資料で、たか子の父親は、陸軍人であったとしている。全文検索が可能な“国立国会図書館デジタルコレクション”で、コレクションを「官報」、キーワードを「中本幹隆」として検索すると、明治28年(1895年)11月11日付けで勲八等瑞宝章を受けている「陸軍特務曹長 中本幹隆」がいることがわかる。
大蔵省印刷局 [編]『官報』1895年11月19日,日本マイクロ写真,明治28年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2946995/1/1 1コマ目p481下段中央
同様に検索しても、明治期の軍人として「中本根隆」「中本幹雄」「中本幹」という人物はヒットしないため、たか子の父は「中本幹隆」である可能性が高いと思われる。
“国立国会図書館デジタルコレクション”により、中本幹隆の軍歴を追うと以下のとおり。
明治30年(1897)ごろから明治32年(1899年)ごろまで陸軍歩兵第四十四連隊(高知)に所属
『職員録』明治30年(甲),印刷局,明治30年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/779774/1/154 154コマ目 p266中段
『職員録』明治32年(甲),印刷局,明治32年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/779776/1/176 176コマ目 p315下段
明治33年(1900年)10月26日から明治34年(1901年)2月27日までの間に、「体操(兵式体操)科」の「師範学校中学校高等女学校教員免許状」を取得。
なお、彼は平民であったことがわかる。
大蔵省印刷局 [編]『官報』1901年03月07日,日本マイクロ写真,明治34年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2948596/1/4 4コマ目p126 1段目
明治34年3月15日付けで陸軍歩兵少尉に任じられる。
大蔵省印刷局 [編]『官報』1901年03月16日,日本マイクロ写真,明治34年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2948604/1/5 5コマ目 p272上段
明治35年(1902年)には県立山口中学校助教諭兼舎監になっており、明治36年(1903年)の職員録にも同様に掲載されている。(デジタルコレクションでは、肩書の文字がつぶれて読みにくいため、当館所蔵の現物で確認) 明治37年(1904年)の職員録の同箇所には記載がない(軍に戻った可能性がある。)
『職員録』明治35年(乙),印刷局,明治35年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/779783/1/213 213コマ目 p393中段
『職員録』明治36年(乙),印刷局,明治36年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/779785/1/206 206コマ目 p385上段
『職員録』明治37年(乙),印刷局,明治37年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/779787/1/209 209コマ目 p389上段 ※中本幹隆なし
明治38年(1905年)11月30日付けで勲七等瑞宝章を受けており、このときの階級は歩兵中尉とある。
大蔵省印刷局 [編]『官報』1905年12月04日,日本マイクロ写真,明治38年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2950067/1/12 12コマ目 p118下段
その後、明治40年(1907年)4月1日付けで後備役に編入、明治45年(1912年)4月1日付けで退役となっている。
大蔵省印刷局 [編]『官報』1907年05月09日,日本マイクロ写真,明治40年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2950501/1/4 4コマ目 p244上段「○後備役編入」
大蔵省印刷局 [編]『官報』1912年04月10日,日本マイクロ写真,明治45年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2951996/1/10 10コマ目 p259上段
なお、たか子は、資料1によると明治36年11月19日、山口県豊浦郡角島村に生まれたとある。一方、資料2、3には、明治36年11月に「山口市栗本小路に生まれた」とある。上記の幹隆の軍歴と勘案すると、彼は、明治36年5月1日現在で県立山口中学校に勤めていることから、資料2、3のとおり、たか子の生地は山口町(現・山口市)である可能性がある。また、たか子が生まれた当時の幹隆の職業は県立山口中学校助教諭兼舎監であった可能性がある。
また、資料1によると、たか子は大正5年(1916年)3月に角島尋常小学校を卒業したとあるため、このころには角島にいたと思われるが、上記により、幹隆は明治40年に後備役、明治45年に退役となっているため、明治40年以降に山口から角島に移った可能性がある。
また、角島での暮らしについて、たか子自身が述べているものとして、「民主文学」(297)に掲載された「随想 村八分」がある。(当館未所蔵。“国立国会図書館デジタルコレクション”に収録) これによると、「(引用者注:角島の尾山部落で築港が行われることになり、)その時の会計係が私の父であった。父はその頃、陸軍の退役中尉で、恩給で生活していた。いわゆる中尉貧乏で、ひじょうに切り詰めた生活だった。きちょうめんな性格と、農業も漁業もしないで襖はりなどをしていたところを見こんで会計係にさせられたのだろう。」とある。
日本民主主義文学会 編『民主文学』(297)(347),日本民主主義文学会,1990-08. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7973717/1/68 68コマ目 p129-130 図書館・個人送信限定資料
上記「随想 村八分」によると、港は完成したが、その際、幹隆は、村長の意向に沿って会計をごまかすことを拒んだため、村八分にあい、嫌がらせを受けるようになった。幹隆は村長を裁判に訴えて勝訴したが、その後島を出て山口に移った、とある。同じエピソードは、「郷土を語る 遠い思い出の島」(「太陽」 7(12) 平凡社 1969.12 p154-155 資料6)にもみえる。また、前述の資料4にも記載があるが、講演要旨であるため簡単な記述となっている。また、資料4で幹隆を「主計中尉」としているのは、築港の際に会計係だったことからきているものかとも思われる。
なお、資料4の講演要旨については、その後、論文化された形跡は見当たらなかった。また、上記築港及び裁判の詳細についても、以下の資料の明治末から大正初期の角島に関する記述を概観したが不明。
・『豊北町史』(豊北町史編纂委員会 編 豊北町史編纂委員会 1972)
・資料4『豊北町史2』
・『豊北町史年表 改訂版』(豊北町郷土文化研究会 [編] 豊北町郷土文化研究会 1994.5)
・『角島集落の社会と生活』(松沢寿一他 著 農林省水産講習所 1961.3)
・『角島』(関西学院大学地理研究会 [編] 関西学院大学地理研究会 1977.2)
なお、“国立国会図書館デジタルコレクション”収録の以下の資料によると、大正5年(1916年)には、「角島村」の「中本幹隆」が「土木請負業」をしているとある。これも上記築港の関係かとも思われるが不明。
竹内伊四郎 編『大日本紳士名鑑』,明治出版社,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/936511/1/836
資料1によると、角島尋常小学校卒業後、時期は明らかではないが「子女の教育のため一家で山口市後河原に移る」とある。山口に移ってからの父親の職業については不明だが、前記「女性教養」273号には「中学校の教師や山口市役所の役人など歴任した父母に伴われて」とある。このうち、中学校の教師は明治35-36年ごろのことと思われるが、「山口市役所の役人など」をしていたのは、角島から山口に移った後の可能性がある。
なお、戦前の山口市役所の職員録等は当館に所蔵がなく、他の資料で確認することは出来なかった。
参考までに、資料6に掲載されたたか子の随筆「郷土を語る 遠い思い出の島」では「山口での生活がはじまって見ると、わたしは、角島では少しも感じなかった「貧乏」ということを身に針をさすように痛く感じました」とある。また、たか子の母校、山口高等女学校(現・山口中央高校)の同窓会誌である資料7に収録されたたか子の手記「湯田校舎のころ」によると、「私の生家は「赤貧洗うが如し」というとおりで、親たちは爪に灯をとぼすような生活で、私を女学校にやりましたが、どんなにか苦しかったでしょう。しかも私を頭に五人の弟妹がいました。」とある。
最後に、中本家の出自について、資料8『わたしの安保闘争日記』p37に、「私の父も母も、この島(引用者注:角島)の農民の子である。」とある。
中本たか子 著『わたしの安保闘争日記』,新日本出版社,1963. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1671514/1/21 21コマ目 p37 図書館・個人送信限定資料
- 回答プロセス
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当館のふるさと文献情報データベースにて「中本たか子」で検索し、登録されている資料にあたる。父親の名前等が資料により異なっていることがわかる。
軍人であることは確実と思われたので、国立国会図書館デジタルコレクションで名前を検索。「中本幹隆」の可能性が高いことがわかる。
中本幹隆の軍歴を官報等で確認。
国立国会図書館デジタルコレクションで「中本たか子 角島」で検索。
- 事前調査事項
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自伝『わが生は苦悩に灼かれて わが若き日の生きがい』(1973年)p124に「父が長年つとめていた市役所をやめて、いまでは、彼が下級軍人だった僅かな恩給でくらしていた」という記述がある。
『近代女性作家精選集037 中本たか子『耐火煉瓦』』(ゆまに書房、2000年)に収録の解説(岡田孝子「『わが生は苦悩に灼かれて』―作家と時代」)には、中本は角島で生まれ、小学校卒業後に一家で山口市に引っ越したとある。
- NDC
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- 文学 (90 9版)
- 参考資料
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1.やまぐち文学回廊構想推進協議会 編集 , やまぐち文学回廊構想推進協議会. やまぐちの文学者たち 増補版. やまぐち文学回廊構想推進協議会, 2013.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060968447-00 (p104-105) -
2.下関市市史編修委員会 編 , 下関市. 下関市史 市制施行以後. 下関市役所, 1958.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I053829078-00 (p563) -
3.下関市市史編修委員会 編修 , 下関市. 下関市史 市制施行-終戦. 下関市役所, 1983.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069184853-00 (p532) -
4.豊北町史編纂委員会 編 , 豊北町 (山口県). 豊北町史 2. 豊北町, 1994.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002392523-00 (p429-432) - 5.山口県地方史学会, 1974年6月. 山口県地方史研究 通巻31号 (p64-65)
- 6.平凡社, 1969. 太陽 第7巻12号 (p154-155)
-
7.山口県立山口中央高等学校かなめ会 編 , 山口県立山口中央高等学校かなめ会. かなめ会報 : 創立100周年記念特集 第35号. 山口県立山口中央高等学校かなめ会, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060483291-00 (p18) -
8.中本たか子 著 , 中本, たか子, 1903-1991. わたしの安保闘争日記. 新日本出版社, 1963.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001043188-00 (p37)
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1.やまぐち文学回廊構想推進協議会 編集 , やまぐち文学回廊構想推進協議会. やまぐちの文学者たち 増補版. やまぐち文学回廊構想推進協議会, 2013.
- キーワード
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- 中本, たか子, 1903-1991
- 日本文学--山口県--歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343240