レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年2月21日
- 登録日時
- 2023/04/07 17:39
- 更新日時
- 2023/12/26 13:16
- 管理番号
- 県立長野-23-003
- 質問
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未解決
明治初期の下伊那郡大島村(現・松川町)新々学校、上新井学校、木曽郡神坂村(現・岐阜県中津川市)神坂学校に勤務していた教員坂井茂氏が、教員研修会に参加した記録はあるか。島崎藤村の『夜明け前』に登場する人物のモデルと考えているため、詳しく知りたい。
- 回答
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問い合わせの「教員研修会」「教育研修会」として探されている会の主催者がわからないため、明治初期に必要とされていた県や師範学校が主催する教員養成のための講習会として調査したが、研修会の内容や参加者名簿などは確認できなかった。
利用者が求める年代ではないが、『長野県教育史 第9巻 史料編3』 長野県教育史刊行会編・刊 1974 【N372/52/9】p.1034-1041の「師範学校訓導・卒業生名簿 明治9年6月」のうち、「明治六年十二月ヨリ下等小学師範学科卒業免状ヲ与ヘシ者 (朱書)等外教員之部」に、「坂井茂」の名前が見られた。この表に赴任先の記載はない。これは「訓導卒業生名簿 第五課 明治九年六月」長野県庁所蔵とあるが、現在は長野県立歴史館が「行政文書」[明9/1F/1]「訓導卒業生名簿(明治9年6月) 筑摩県師範学校」で所蔵している。
『長野県教育史 第1巻 総説編1』 長野県教育史刊行会編・刊 1978 【N372/52/7】第2章「近代教育の始まり」に、長野県、筑摩県の小学校の始まりの違いや教員養成の過程についてまとめられている。p.819では、教員の教育的文化活動として、教員集会や授業研究会が行われたことが書かれているが、その詳細な内容や参加者などについての記述は見られない。p.885-886の「教員(教職経験者)の奨匡社員一覧」の神坂村に「坂井茂」があった。年代は不祥だが、年齢が38歳となっている。
明治12年小学教則改正のため、県が教員代表を招集して教育会議を開催している。
『上伊那教育会史』上伊那教育会 1993 【N372/114】 p.1-12によると、上伊那教育会は明治12年6月に発足。郡単位の教員組織としてはこれが県内最初のもの。この会以前にも、自発的な研修の場として小規模な集会があったことが記されているが、参加者についての記述はない。
『下伊那教育会 百周年記念』 下伊那教育会史編集委員会編 下伊那教育会 1987 【N372/92】p.21-30に明治初期の免許を持たない教員に対し、教則や授業法を伝習することを目的とした集会が持たれていた記述があった。参加者名簿の掲載はない。また、県が招集した教育会議は訓導が資格の議員制となっており、多くの教員は参加できないものだったため、明治12年7月下伊那教育会議を開設した旨の記述がある。
『木曽教育会百年誌』 木曽教育会百年誌編纂委員会 木曽教育会 1986 【N372/87】p.58-68に、明治初期の教員養成についての記述があるが、上述した教員同士の研修会のようなものの存在については触れられていない。西筑摩郡教育会は明治12年12月に発足。
信濃教育会の支部にあたる各郡の教育会の発足は上述の教育会よりも後年になる。
長野県立歴史館の収蔵品データベース[最終確認2023.4.11]を「官立学校」で検索すると、9件ヒットする。
『木曽教育会百年誌』にも掲載されている筑摩県関係の史料と思われるものもある。同館に照会したところ、代行検索サービスはしていないとのこと。直接自身で確認するよう伝えた。
『筑摩県日誌』 筑摩県 1873 【N317/99】[1号と2号のみ 信州デジタルコモンズで公開 最終確認2023.4.11]の4号に教育関係のことが書かれているようだが、当館では所蔵していない。長野県立歴史館が所蔵([県報 明6-2-4])しているので、案内した。
同様に、「本県無号・丙号達」[県報 明17-10]、「師範学科卒業之部・中学校之部・教員免許之部・賞与之部・学事統計之部ほか(全)」[明14/E/5](特定歴史公文書 部分公開)および、明治12年の学務課広告を何点か所蔵していることを案内した。ただし、「更級郡岡田村寺沢家文書」の一部のため、広告が完全な形で残っているかは不明。
事前に長野県立歴史館サイトの閲覧申請フォームから申込みをして、来館することを勧めた。
「特定歴史公文書について」を案内した。[最終確認2023.4.11]
- 回答プロセス
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1 問い合わせの「教員研修会」「教育研修会」として探されている会の主催者がわからないため、明治初期に必要とされていた県や師範学校が主催する教員養成のための講習会として調査する。『長野県教育史 第9巻 史料編3』p.1034-1041の「師範学校訓導・卒業生名簿 明治9年6月」のうち、「明治六年十二月ヨリ下等小学師範学科卒業免状ヲ与ヘシ者 (朱書)等外教員之部」に、「坂井茂」の名前がある。
2 また、『長野県教育史 第1巻 総説編1』第2章「近代教育の始まり」に、長野県、筑摩県の教員養成の過程がある。p.819では、教員の教育的文化活動として、教員集会や授業研究会が行われたことが書かれているが、その詳細な内容や参加者などについては不明。p.885-886の「教員(教職経験者)の奨匡社員一覧」の神坂村に「坂井茂」がある。年代は不祥だが、38歳とある。
3 教員養成課程としての師範学校が行った研修会以外に、各郡の教育会が行ったものも考えられるため、関係する下伊那、木曽の教育会史を調べる。調査過程で、上伊那教育会が最初に発足したことがわかったので、調査対象に加えた。
4 長野県立歴史館の収蔵品データベースを「官立学校」で検索すると、9件ヒットする。
『木曽教育会百年誌』にも掲載されている筑摩県関係の史料と思われるものもある。
5 信州デジタルコモンズで「筑摩県」を検索し、該当する資料を見ていく。『筑摩県日誌』筑摩県 1873 【N317/99】[1号と2号のみ 公開]の4号に教育関係のことが書かれているようだが、当館では所蔵していない。長野県立歴史館が所蔵。
6 同館に照会したところ、代行検索サービスはしていないとのこと。直接自身で確認してほしいとのこと。
<調査済み資料>
・『長野師範人物誌』 市川本太郎著 信濃教育会出版部 1986【N372/88】
・『長野県教育史料目録』教育課程史研究調査委員会作成 信濃教育会 1965【N372/33】
・『長野県教育史 第10巻 史料編4』 長野県教育史刊行会編・刊 1975【N372/52/10】
・『信濃教育史概説』 市川虎雄著 信濃毎日新聞出版部 1933【N372/8】
・『長野県 西筑摩郡誌』 市川虎雄著 千秋社 2001 (大正4年長野県西筑摩郡役所刊の復刻)【N234/117】
・『長野県教育事蹟一斑』 長野県内務部学務課 1909【N372/26/1】
・『下伊那教育会七十年史』下伊那教育会七十年史編集委員会編 下伊那教育会 1960【N372/25】
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372 10版)
- 小説.物語 (913 10版)
- 参考資料
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長野県教育史刊行会/編集 , 長野県教育史刊行会. 長野県教育史 第9巻. 長野県教育史刊行会, 1974.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I015634799-00 (【N372/52/9】p.1034-1041) -
長野県教育史 第1巻. 長野県教育史刊行会, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005663391-00 (【N372/52/7】)
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長野県教育史刊行会/編集 , 長野県教育史刊行会. 長野県教育史 第9巻. 長野県教育史刊行会, 1974.
- キーワード
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- 坂井茂
- 教員養成
- 教育 明治時代
- 島崎藤村
- 破戒
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000331844