レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年09月07日
- 登録日時
- 2024/01/11 14:57
- 更新日時
- 2024/01/19 15:08
- 管理番号
- 横浜市中央2709
- 質問
-
解決
森鷗外の「鷗外」という号について、その由来や、いつから使われたのかが知りたい。
- 回答
-
1 号の由来について
(1)事典、辞典類
ア 『ペンネームの由来事典』 紀田順一郎/著 東京堂出版 2001.09
p.247-249 森鷗外
以下の3つの説が挙げられています。
(ア) 「明治二十三年(一八九〇)『舞姫』を発表するさい、友人の斉藤勝壽から借りたもの」
「当時隅田川の鷗の渡しのそばに住んでいたので、それにちなんだ号」
(イ) 「鷗外が愛した西周家の女中ウメにちなむという。
ウメの連想で深川小梅町は吾妻橋の川向こうにあり、付近に鷗の渡しという場所があった。」
(ウ) 「杜甫の詩「王十二判官に別る」の「柔艫軽鷗の外、悽を含んで汝の賢を覚る」からとった」
イ 『作家のペンネーム辞典』 佐川章/著 創拓社 1990.11
p.417-421 森鷗外
以下の4つの説が挙げられています。
(ア) 「友人・斎藤勝寿の雅号(鷗外漁史)を貰った。」
(イ) 「杜甫の漢詩から「鷗外」と号した。」
(ウ) 「千住に「かもめの渡し」があり、この地名をもじったものである。」
(エ) 「「かもめの渡し」は、吾妻橋の上流にあり、吉原を指す名称でもある。
"鷗外"とは、遊興の地に近寄らず、遠く離れて千住に在るという意味である。」
(2)号に関する考察、研究など
ア 『斎藤茂吉全集 第8巻 随筆』 岩波書店 1973.3
斎藤茂吉の随筆『童馬山房夜話』において、7回にわたって号の由来や、
いつから使用されたのかについての考察の記載があります。
(ア) p.317-321 179 『鷗外』の雅號
(イ) p.337-340 190 再び『鷗外』の雅號に就いて
(ウ) p.344-347 192 鷗外の號に就いて(三たび)
(エ) p.358-360 199 井上博士來書(四たび鷗外の號に就いて)
(オ) p.362-363 201 五たび『鷗外』の號に就いて
(カ) p.363-366 202 五たび『鷗外』の號に就いて つづき
(キ) p.371-372 207 六たび『鷗外』の號に就いて
イ 『岩波文庫をめぐる文豪秘話 読書人シリ-ズ』 山崎安雄/著 出版ニュース社 1964.4
p.174-183 「鷗外」の号は他人の借りもの
(2)アにおける一連の内容がまとめられています。
ウ 「鷗外という号について」 岡田正弘
(「鷗外」第14号 森鷗外記念会 1974.1)
p.1-11
こちらは国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧が可能です。
(図書館送信参加館・個人送信限定資料 https://dl.ndl.go.jp/pid/4436772)
エ 「鷗外という号について」 中井義幸
(「鷗外」 第15号 森鷗外記念会 1974.11)
p.40-42
こちらは国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧が可能です。
(図書館送信参加館・個人送信限定資料 https://dl.ndl.go.jp/pid/4436773)
(3)号の由来について記載のあった資料
ア 『森鴎外事典』 平川祐弘/編 新曜社 2020.1
p.32、252-253
イ 『講座森鴎外 第1巻 鴎外の人と周辺』 平川祐弘/〔ほか〕編 新曜社 1997.05
p.114
ウ 『随筆 明治文学 3(人物篇・叢話篇) 東洋文庫』柳田泉/著 平凡社 2005.11
p.341-343 虚白堂文学雑記 一 鷗外、天外、花外
エ 『鴎外印譜 日本書誌学大系』 中井義幸/編 青裳堂書店 1988.6
p.94-95 「鷗外」號
2 いつから使われていたのか
「鷗外」という名称自体は、ドイツ留学中の明治19(1886)年1月時点で「鷗外漁史」という号で
使用していたという記述が確認できました。
(1)『鴎外研究年表』 苦木虎雄/著 鴎出版 2006.6
p.159 「ギョオテの『ファウスト』全巻(第一部、第二部)を通読し、
所持していたレクラム版ギョオテ全集の『ファウスト』の扉に、
「明治十九年一月於德停府鷗外漁史校閲」と記す」
(2)『森鴎外事典』 平川祐弘/編 新曜社 2020.1
p.482-484 『ファウスト』
「森鷗外は一八八六(明治十九)年ドイツ留学中ドレスデンでGoethe, Faustを読み出した。
レクラム文庫本に「明治十九年一月於徳停府鷗外漁史校閲」とある。」
(3)『評伝 森鴎外』 山崎國紀/著 大修館書店 2007.7
p.57 「鷗外の所有した『ファウスト』の扉に
「明治十九年一月、於徳停府鷗外漁史校閲」とあるのがそれである。」
ドイツ帰国後の著作活動において使用した号については、以下の資料に記載があります。
(4)『近代文学研究叢書 第20巻』 昭和女子大学近代文学研究室/著 昭和女子大学 1963.11
p.125-164 二、著作年表
明治22(1889)年1月3日に、「鷗外」の筆名で読売新聞に
「音調高洋筝一曲」を掲載したとの記載があります。
Webサイト最終確認日:令和5年9月20日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本文学 (910 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000344531