レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年03月11日
- 登録日時
- 2011/04/02 11:59
- 更新日時
- 2011/04/07 11:14
- 管理番号
- 福井県図-20110311
- 質問
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未解決
壇ノ浦の合戦後、平時忠が能登に配流されたときの同行者を知りたい。
- 回答
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主な文書には記述なし。不明。
- 回答プロセス
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『平家物語大事典』 2010 東京書籍 913.4/ヘイケ の平時忠の項を参照、能登配流に関する記述の典拠にあたる。
『吾妻鏡』(国史大系32)、1935、吉川弘文館、210.08/K/32
元暦2年(1185年)6月2日(配流の官符)・文治元年(1185年)9月23日(能登国下向)
『山槐記』(増補史料大成28)、1975、臨川書店、210.08/S10/28
文治元年(1185年)9月23日(能登国下向)
『訓読玉葉』 第五巻 1989 高科書店210.3/タ/5
元暦2年(1185年)5月21日(配流先決定)
『平家物語』(新日本古典文学大系45) 1993 岩波書店 918/シ/45 巻第十二 「平大納言被流」の項
→記述で登場するのは時忠のみ。
『源平盛衰記』(校註日本文学大系6) 1926 国民図書 910.8/N2/16 巻四十六 「南都御幸大佛開眼附時忠流罪忠快許さるる事」に「九月二十三日、前平大納言時忠卿は追立の使信盛承りて、能登国鈴御崎へ遣わす」とある。追立の使=追立の検非違使のため、同行者とは言いがたい。
→同行者は不明。
- 事前調査事項
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吉川英治の新平家物語は確認したとのこと
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 小説.物語 (913 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 平氏
- 平家
- 平時忠
- 能登
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000084254