レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年10月15日
- 登録日時
- 2014/01/22 12:54
- 更新日時
- 2016/12/08 14:34
- 管理番号
- 2013-19
- 質問
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解決
国体開催当時(1953)ごろの堀之内公園内の様子(陸上競技場や野球場の位置など)がわかり、住宅地図以外で縮尺が2万分の1より詳細な資料はあるか。
- 回答
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2万分の1より詳細な地図はなし。以下の資料には国体会場の写真・図・説明等があり。
【資料1】
p口絵:「松山総合運動場ふかん図」というB5版の白黒写真に、“写真中央は開閉会式場、左下隅は野球場、右はテニスコート、左上白く工事中はラグビー競技場”と説明があり。
別の口絵ページにある7.5×27㎝の写真には、“国体の開閉式場となる松山総合運動場の中心目下競輪場を改装している”という説明があり。
【資料2】
p口絵:「堀之内を主会場に第8回国体開催[昭和28年10月22~27日]」という記事に、会場の写真が6ページにわたって掲載されているが、会場の位置関係は不明。
p41-55:第8回国民体育大会の誘致から開催までの過程、天皇・皇后両陛下行幸啓御日程、松山市内競技会場一覧等を記述。
なお、陸上競技場については、“堀之内の競輪場走路内に新設された県営陸上競技場は、競輪とのメーンスタンドの外、競輪走路上を仮設スタンドにして三万人収容を予定し、炬火台も造って、開・閉式場にふさわしい競技場に仕上った(p45)”とあるので、先にコピーされた昭和28年の住宅地図にある「松山競輪場」が該当。
また、県営体育館については、“〔県営陸上競技場の〕南隣には、(略)円形屋根のスマートな県営体育館(後、愛媛県民館と改称)が完成。(p45-46)”とあり。
【資料3】
p口絵:松山市中心部の空中写真がA5の大きさで掲載。堀之内付近は5㎝四方の大きさで、野球場、陸上競技場、県民館が判別できる程度。
p538-540:開会式の様子や施設概要(広さ、収容人員等)等を記述。
p539:主競技場である「堀之内総合運動場」の空中写真(白黒・6×9cm程度)を掲載。テニスコート、野球場、陸上競技場、県営体育館の様子がわかりるが、説明はなし。
【資料4】
裏表紙:「松山総合運動場俯瞰図」…縮尺はないが透視図風に描かれており位置関係が分かりやすい。
p23:「第八回国民体育大会開会式場収容状況図」…開閉式場内の座席配置が大まかに描かれている。
【資料5】
P5:「愛媛県国体会場案内図」が掲載されており、7×9㎝の図に、会場の場所が番号で表示。住宅地図と照らし合わせると位置関係はあっているが、手書きのメモのような図なので、具体的とは言ない。
- 回答プロセス
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以下の資料には国体の概要は記述されているが、会場の位置関係はなし。
『愛媛教育時報 昭和28年10月 第57号』(愛媛県教育委員会/編 愛媛県教育資料普及会 1953年)<当館請求記号K370/10>p24-27
『広報まつやま 昭和23年10月1日~昭和29年6月1日』(松山市企画管理部広報広聴課/編集 松山市 1989年)<当館請求記号K317.3/54/1>p977-979
- 事前調査事項
- NDC
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- スポーツ.体育 (780 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『国体とスポーツの話 1953』(第八回国体愛媛県実行委員会 1953年)<当館請求記号:K780/4>
- 【資料2】『松山市体育史』(松山市体育史編集委員会/編集 松山市 1989年)<当館請求記号K780/11>
- 【資料3】『松山市誌』(松山市誌編集委員会/編集 松山市 1962年)<当館請求記号K293.1/23>
- 【資料4】『国体ニュース』(松山市役所広報室 1953年)<当館請求記号K780/3>
- 【資料5】『愛媛新聞 昭和28年10月21日(朝刊)』(愛媛新聞社 1953年)
- キーワード
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- 国民体育大会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 類似事例(昭和28年第8回国民体育大会開催地は最初愛媛県が単独で名乗りをあげていたが、四国で開催となった。その経緯が掲載されている資料はないか: <https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000087059>あり。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000143801