レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/03/19
- 登録日時
- 2022/03/26 00:30
- 更新日時
- 2022/03/26 00:30
- 管理番号
- 6001055411
- 質問
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解決
竹田近江(初代)が道頓堀で「竹田芝居」を旗揚げしたのはいつか。
- 回答
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次の資料に記載があります。
■『大阪人物辞典』(三善貞司/編 清文堂出版 2000.11)【281.6/53N/(2)】
「竹田近江」(p.653-654)の項があります。
「機巧(からくり)人形の創始者。竹田人形芝居で知られる(中略)寛文二年(一六六二)大坂へ来て、道頓堀の太左衛門橋南詰に、機巧人形芝居専門の『竹田芝居』を創設した。」と記載があります。(p.654)なお、「以後二代・三代と続い」たが、「消滅をたどる。」とありますので、この項は初代のものと思われます。
■『演劇百科大事典 第3巻 サナ-チユ』(早稲田大学演劇博物館/編 平凡社 1960)
「竹田からくり」の項(p.486-487)に「大阪竹田の芝居で興行した見世物。」で「初世竹田近江は江戸でからくりを考案して芝居興行を思い立ち、寛文二年(1662)に許可を受けて大阪道頓堀浜側で竹田の芝居を開創した。」とあります。(p.486)
■『からくり ものと人間の文化史』(立川昭二/著 法政大学出版局 1969)
「からくり師列伝 竹田近江・出雲」(p.161-178)に次の記載があります。
「寛文二年(一六六二)道頓堀ではじめてからくり芝居を興行した竹田近江―この初代近江は、『京・大坂今昔芝居鑑』などによると、阿波の人、清房と称し、はじめ江戸で砂時計を工夫し、万治元年(一六五八)十二月御所に召され、からくり人形を献上し、出雲を受領、翌二年五月再び受領して近江と改め、寛文二年大阪で竹田芝居の名代を許された、という。(中略)初代近江は寛文二年道頓堀で旗上げしてから延宝にかけての十二年間からくり一本で興行した。」とあります。(p.162-165)
■『日本名所風俗図会 10 大阪の巻』(角川書店 1980.6)
『摂津名所図会 巻之四』の中に「竹田近江が機捩劇場 は諸国までも聞こえてその名高し。(中略)寛文二年大坂において初めて機捩劇場を願ひて興行し」と記載があります。(p.151)
■『からくり人形の文化誌』(高梨生馬/著 学芸書林 1990.10)
「第三章 『竹田からくり』の影響」(p.51-62)の中に、「摂津名所図会」巻之四の「竹田近江が機捩劇場」の記載の後、「同図会の解説によると、機械仕掛けの自動人形を使ったからくり芝居の“本邦初公演”は寛文二年(一六六二)の旗揚げ興行である。」という記載があります。(p.56)
■『竹田からくりの研究』(山田和人/著 おうふう 2017.10)
「はじめに」に「竹田芝居は、道頓堀で寛文四年(一六六四)に旗揚げ興行を行い、代々武田近江を名乗り、からくりと子供芝居の打ち交ぜ興行を行ってきた。ただし、これ以前にすでに興行は各地で行われており、道頓堀でも旗揚げがこの年であった」とあります。
ただ、「第八章 竹田からくり関連資料 第一節 草創期の竹田芝居 六」(p.451-452)に「草創期の竹田芝居の興行の年譜を作成してみた。」とある中には、「寛文二年(一六六二)、大坂道頓堀にて旗揚げ(『今昔芝居鑑』)」とあります。(p.451)
〔事例作成日:2022年3月19日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 人形劇 (777 10版)
- 参考資料
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- 大阪人物辞典 三善/貞司∥編 清文堂出版 2000.11 (653-654)
- 演劇百科大事典 第3巻 早稲田大学演劇博物館∥編 平凡社 1960 (486)
- からくり 立川昭二著 法政大学出版局 1969 (162-165)
- 日本名所風俗図会 10 角川書店 1980.6 (151)
- からくり人形の文化誌 高梨/生馬∥著 学芸書林 1990.10 (56)
- 竹田からくりの研究 山田/和人‖著 おうふう 2017.10 (451)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 業務
- 登録番号
- 1000314080