1 備後の刀鍛冶の正家(三原)と助国(国分寺)について
<正家、助国>
『広島県史 中世』広島県/編、広島県、1984【H21/H73-3/3ア】
p.759-764 刀鍛冶とその作風
p.760-763 三原鍛冶
p.760 「正和ごろの三原正家を祖とし、(略)南北朝期までを古三原といい、正家(略)などの名前が知られ、(略)」
p.763 「備後鍛冶で三原物とならぶのが芦田郡物である。国分寺物ともいう。鎌倉末期、備後国分寺に助国がおり、古三原と共通する作風を示したといわれる。」
『芸備史』下尾善太/著、歴史図書社、1980(「列伝体芸備史」(下尾善太 1916年刊)の改題復刻)【H28/Sh54aア】
p.114-119 刀匠
p.117 助國
p.118 正家
『広島県文化財ニュース 第31号~第60号』広島県文化財協会/編、1966~1974【H70/H735/31-60】
42号(1969.9)
p.15-16 広島県の刀匠の系列 大田千太郎/著
p.15-16 「備後国では延文のころ三原住左衛門尉「正家」を宗とし、(略)安佐郡東条に「助国」、(略)」
『芸備地方史研究 278号(2011.10)』芸備地方史研究会【雑誌】
p.24-54 広島県(備後・安芸)の刀工 森脇明彦/著
p.27 助国
p.35 正家
作刀地、刀工名、活躍した時代、出典等が書かれています。
『広島県(備後・安芸)の刀工』[森脇明彦/著]、森脇明彦、[2011]【H75/モリア111ア】※ 『芸備地方史研究 278号(2011.10)』(前出)の抜刷です。
『日本刀銘鑑』石井昌国/編著、第3版、雄山閣、1979【R756.6/I75】
p.454-455 助国
p.842-843 正家
※ 『芸備地方史研究 278号(2011.10)』(前出)の出典に挙げられている資料です。
『日本刀工刀銘大鑑』飯田一雄/著、淡交社、2016【R756.6/116イ】
p.359 助国 備後国
p.595-596 正家 備後国
<正家>
『御調郡誌』御調郡教育会/編纂、臨川書店、1985(御調郡教育会 大正14年刊の復刻』)【H291.44/Mi64aア】
p.262-268 三原刀匠
『三原市史 第3巻 通史編 各説編 3』三原市役所/編集、三原市役所、2007【H21.41/Mi17/3ア】
p.510-512 有形文化財(工芸品)
正家作の短刀が2点記載されています。
『三原市史 第4巻』三原市役所/編集、三原市役所、1970【H21.41/Mi17/4ア】
p.101-132 三原志稿 巻之五 人物上
p.129 「古三原 正家」
『三原志稿』青木充延/編纂、増補、沢井常四郎/増補、三原志稿出版会、1912【H21.41/A53ア】※ 『三原市史 第4巻』(前出)の出典資料です。
p.225 「古三原 正家」
『木史会だより 第3巻(第5輯・第6輯)』木ノ庄西郷土の歴史を学ぶ会/編集、木ノ庄西郷土の歴史を学ぶ会、2004【H291.42/キノシ1/v.3ア】
木史会だより 第5輯
p.133-140 刀工三原正家と和霊神社の由来
『三原文庫 第12号 新三原めぐり 後編』福岡幸司/編集、三原文庫、2002【H20.41/ミハラ93/12ア】
p.七の4 正家の墓
p.七の5 正家の井戸
『三原文庫 第21号 『墓地巡り』と新訳突天漢』福岡幸司/著述、三原文庫、2013【H20.41/ミハラ93/21ア】
p.53 正家 称佐衛門尉
『日本刀講座 第3巻』新版、雄山閣出版、1997【756.6/97ニ/3】
p.270-307 備後国
p.271-288 三原系
p.273-280 正家
『日本刀の歴史 古刀編』常石英明/著、金園社、2016【756.6/116ツ/1】
p.418-425 備後国(広島県)
p.420-421 三原正家
『日本刀大百科事典 5』福永酔剣/著、雄山閣出版、1993【R756.6/93フ/5】
p.74 まさいえ【正家】
<助国>
『福山の歴史:今昔物語 上巻』村上正名/著、歴史図書社、1978【H21.52/Mu43/1】
p.191 刀鍛冶
「(略)古刀の中には芦田物といわれる国分寺助国一派や、(略)」
『日本刀大百科事典 3』福永酔剣/著、雄山閣出版、1993【R756.6/93フ/3】
p.103 すけくに【助国】
2 国分寺(福山市神辺町下御領)に関連する野間・能間という言葉について
『芸備史』下尾善太/著、歴史図書社、1980(「列伝体芸備史」(下尾善太 1916年刊)の改題復刻)【H28/Sh54aア】(再掲)
p.114-119 刀匠
p.117 助國
「能間助國は(略)備後蘆品郡東條の刀匠にして(略)」