レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年08月04日
- 登録日時
- 2023/08/08 10:29
- 更新日時
- 2023/08/17 21:31
- 管理番号
- 県立長野-23-076
- 質問
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解決
「高遠町文化センター」(長野県伊那市)敷地内にある、伊澤修二複製胸像が建立された経緯や製作者がわかる資料を見たい。
- 回答
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『信濃毎日新聞』に、建立の経緯や記念式典について以下の記事が見つかった。
・「文化の高遠一段と盛り上げ 伊澤修二の功績に目」昭和62年3月15日朝刊25面
・「自筆所管や日本初のオルガン 伊澤修二特別展始める」昭和62年10月30日朝刊25面
・「町は音楽一色に 高遠の伊沢修二先生記念祭」昭和62年11月3日朝刊23面
併せて、所蔵新聞で長野県中南信地域の記事を多く掲載する『南信日日新聞(現紙名:長野日報)』で、記念式典前後の日付で紙面を確認したところ、以下の記事が見つかった。
・「伊沢修二記念祭 音楽映画祭、野外コンサート楽しむ」昭和62年11月1日10面
・「文化の町づくりへ大合唱 式典と音楽祭修二記念祭最高潮 高遠町」昭和62年11月3日8面
記事には、伊澤修二が初代校長を務めた東京音楽学校(現東京芸術大学)が開校百周年を迎えるのを機に、高遠町においては没後70周年を記念した「伊沢修二先生記念祭」を事業として行ったことが書かれていた。事業の内容は記念音楽祭や伊沢修二特別展示の開催の他に、東京芸術大学にある伊沢修二ブロンズ像の複製を町文化センターに建立することも含まれていた。
また、雑誌『伊那路』第31巻第10号が<特集 伊沢修二先生>と銘打ち、p.39-41に森下正夫著「高遠町における「伊沢修二先生記念事業」について」があり、この中で、ブロンズ像の建立は、東京芸大構内にあるものと同じものを町文化センター構内に建立(東京芸大芸術学部制作)と記されていたが、制作関係についてこれ以上の記述がある資料は当館では見当たらない。
「伊沢修二先生記念祭」は旧高遠町主導の実行委員会が実施しており、当時の行政資料で詳細がわかると推察できるので「伊那市役所 高遠町総合支所」を紹介した。
- 回答プロセス
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1 胸像が建立された日付を確定させるため、まず当館契約の「信濃毎日新聞データベース」で、「高遠」「伊澤」「伊沢」などのキーワードで検索を行う。「伊沢修二先生記念祭」の事業のひとつとして、昭和62年11月1日に胸像の除幕式が行われたことがわかる。
2 式典の日付が判明したので、県内中南信地区の地域新聞『南信日日新聞(現:長野日報)』原紙も併せて確認する。
3 自館OPACにてキーワード「伊沢」「伊澤」「記念」で検索すると、雑誌『伊那路』が見つかる。
4 高遠町閉町記念誌である『高遠町のあゆみ』アライヴデザインラボ編 高遠町記念事業実行委員会 2006【N242/186】には、記念祭実施についての記述はあったが、胸像建立経緯や制作にかかわる事項には触れられていない。行政の実施事業であるため、伊那市に当時の資料について照会すると、高遠町総合支所を案内された。
- 事前調査事項
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『藝大通信』30号
- NDC
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- 彫刻.オブジェ (71)
- 地理.地誌.紀行 (290)
- 参考資料
- キーワード
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- 伊沢修二
- 高遠町
- 胸像
- 東京芸術大学
- 照会先
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- 伊那市役所 高遠町総合支所
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000337126