レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年06月04日
- 登録日時
- 2011/11/06 12:01
- 更新日時
- 2011/11/06 12:01
- 管理番号
- 9000006471
- 質問
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解決
童謡「たなばたさま」の作詞者・権藤花代は山梨県出身と聞いたが、どこの市町村の出身か。
- 回答
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権藤花代(権藤はな子)は、山梨県北巨摩郡穴山村(現在の韮崎市穴山町)伊藤窪の生まれである。詳しい経歴については、『日本童謡のあゆみ(叢書日本の童謡)』(上笙一郎編 大空社 1997年)等照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.『やまわらべたち・山梨童謡史』(竹内秀秋著 ふじ音楽事務所 2003年)→p142-143に「権藤はなよ」の項があるが、「明治32年山梨県生まれ」とのみ記載があり、出身市町村は不明。野口雨情に師事し、童謡作家・童話作家として活躍した。他に「羽根つき」「数え歌」などもある。
2.自館システムで著者名/件名「権藤花代」で検索するが未ヒット。著者名/件名「権藤はな代」で検索すると、『日本文芸鑑賞事典:近代名作1017選への招待』第13巻(石本隆一ほか編纂 ぎょうせい 1988年)がヒット。p429-433に「たなばたさま」(林柳波,権藤はなよ著)の掲載があり、p432にプロフィールがあるが出身市町村名は不明。「はなよ」「花代」「はな子」のペンネームでも童謡・唱歌を書いていることがわかった。
3.自館システムで全文「権藤はな子」検索すると、次の2冊がヒット。
『雪こんこお馬:權藤はな子童謠集(叢書日本の童謡)』(權藤はな子著 大空社 1996年)』→巻末の「後期」に「…お国の山梨言葉まるだしなのと…」とあるが、プロフィール等の掲載はない。
・『日本童謡のあゆみ(叢書日本の童謡)』(上笙一郎編 大空社 1997年)→「権藤はな子『雪こんこお馬』」(野口存彌著)があり、略歴の掲載あり。「本名は権藤はなよで、明治三十二年四月十三日、山梨県北巨摩郡穴山村に伊藤友重の次女として生まれた。」とある。
4.一般のレファレンスブックを調査。『人物レファレンス事典:明治・大正・昭和<戦前>編』(日外アソシエーツ編・発行 2000年)で確認し、次の2冊を調査。
『日本女性人名辞典』(日本図書センター 1993年)→p467に「権藤はな子」の項があり、「山梨県北巨摩郡穴山村に生れる。」とある。
・『現代女性文学辞典』(村松定孝編 東京堂出版 1990年)→p139に「権藤はな子」の項があり、「山梨県北巨摩郡穴山村伊藤窪に生まれる」とある。
5.次の資料は権藤花代(権藤はな子)に関する記述は見あたらなかった。
・『山梨百科事典』(山梨日日新聞社編・発行 1989年)
・『山梨の文学:山梨県立文学館開館記念展』(山梨県立文学館編・発行 1989年)には掲載がなかった。
・『韮崎市誌』全4巻(韮崎市誌編纂専門委員会編 韮崎市 1978年)
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 声楽 (767 9版)
- 詩歌 (911 9版)
- 参考資料
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- 『日本童謡のあゆみ(叢書日本の童謡)』(上笙一郎編 大空社 1997年) (p220-225)
- 『日本女性人名辞典』(日本図書センター 1993年) (p467)
- 『現代女性文学辞典』(村松定孝編 東京堂出版 1990年) (p139)
- キーワード
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- 「たなばたさま」
- 権藤はな子
- 権藤はなよ
- 童謡
- 詩人
- 韮崎市
- 山梨県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 権藤花代(権藤はな子)は、明治32(1899)年4月13日山梨県北巨摩郡穴山村伊藤窪に、伊藤友重の次女として生まれる。山梨女子師範本科卒業。大正13(1924)年、声楽家の権藤円立と結婚、大正14(1925)年暮れに大阪から東京の吉祥寺に転居、小学校に勤務する傍ら、野口雨情に師事して童謡を作る。昭和7(1932)年に『雪こんこお馬:権藤はな子童謡集』を出版。昭和36(1961)年11月3日吉祥寺で死去。兄はアララギ派の歌人であり、短歌結社「美知思波」を創立した伊藤生更。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物-近代以降
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000096292