①『日本料理技術選集[40] 明治大正昭和食生活世相史』
p.123 明治43年(1910年)11/16 不二家創立「しかし製菓材料にはバタークリームや生クリーム、カスタードクリームを、飲み物にはリプトン紅茶、コーヒーはモカとコロンビアを半々に出した。」と記述がある。
②『アイスクリームのあゆみ』日本アイスクリーム協会
p.14-15 極東練乳の三島工場で作られたアイスクリームは生クリームを使っていたことが書かれており、『冷凍』第47巻第537号の沖本佐一の「アイスクリーム50年の歩み」から、「卵を使わなければ良いものはできないとする人々に生クリームを説明し、乳脂肪の効果を教えることも初期アイスクリーム・セールスマンの重要な仕事であった…。」を紹介している。
p.15には、大正11年(1992)の極東練乳のちらし広告が掲載されており、「真のアイスクリームは純粋のクリームで作られたものであります。」という文がある。
③家庭画報.com(家庭画報ホームページ)
美味手帖2020/12/02「みんな大好きショートケーキ!日本生まれ、日本育ちの歴史をご存じですか?」には、
「1924 年には東京・新橋で牧場を営んでいた「中沢乳業」が、業務用生クリームの生産を開始。1950 年前後には家庭向け冷蔵庫が普及し、バタークリームから生クリームを使ったケーキへと売れ筋が変化していきます。」と書かれている
④『最近東京市商工名鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)info:ndljp/pid/932101
(296-299コマ)p.577-583 <牛乳>の項目に掲載されている会社は48社。そのうち、<牛乳・乳製品>の取り扱いをしているという会社は1社。
⑤『東京市商工名鑑. [大正13年版]』(国立国会図書館デジタルコレクション)info:ndljp/pid/1905708
(297-300コマ)p.577-583 <牛乳>の項目に掲載されている会社は48社。そのうち、<牛乳・乳製品>の取り扱いをしているという会社は1社。
⑥『洋菓子はじめて物語』 吉田 菊次郎/著 0004515409
p.159-167 <生クリームの本格的な登場> に、現・中沢グループ代表の中澤惣一氏談「大正13,4年頃に、アメリカのデラバル社製遠心分離式生クリーム製造機が輸入され、ようやく生クリームの生産が緒についた」を紹介している。
⑦『東京市商工名鑑. 昭和4年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)info:ndljp/pid/8312614
(152-153コマ)p.72-74 <牛乳>の項目には牛乳・乳製品を扱う39社の掲載がある。
そのうち、クリームの記載があるのは5社。乳製品の記載があるのは2社だが、クリームが含まれているかどうかはわからない。
⑧『雪印乳業沿革史』
p.38-39 アイスクリームの原料として生クリームを確保するため、雪印乳業が昭和9年(1934年)に北海道の八雲工場から大阪工場へ生クリームの長途輸送が行われたことが書かれている。「クリームの時代来る 無糖練乳の時代は既に去れり 雪印北海道クリームの出現!」という宣伝文を発行したとある。
⑨『貨物輸送試験成績 昭和10年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)info:ndljp/pid/2942290
(86-90コマ)p.163-171 「昭和10年4月 生クリームの冷蔵輸送試験成績 北海道製酪組合連合会札幌鉄道局施行」の掲載がある。それによると昭和10年4月16日から10月29日までの実験を行っている。
⑩『虚弱者病人子供及び老人向き掛橋菊代栄養食基本料理法』(国立国会図書館デジタルコレクション)info:ndljp/pid/1261851
(39-40コマ)p.45-46<15.生クリーム>の項がある。「日本では生クリームが非常に高価でありますので、おすゝめしがたいのでありますが」とあり、生クリームとは「牛乳の上に浮きます脂肪分のことであります。」と説明されている。「泡立てた物に砂糖と香料を入れて味をつけプッティングやケーキ、果物の砂糖煮等を飾りますと、客向きにも又病弱者にもよろこばれる、しやれた物が出来上がります。」など使用方法が記されている。
⑪『東京市商工名鑑, 第6回』(国立国会図書館デジタルコレクション)info:ndljp/pid/1905755
(110-111コマ)p.162 <(4)牛乳・バター・煙草>の項目には牛乳・乳製品を扱う33社の掲載がある。
そのうち、興眞牛乳株式会社の営業品目に、クリーム其他乳製品がある。
p.164 中澤ミルクプラントの営業品目に、生クリームがある。
⑧『雪印乳業沿革史』
p.68 <第2表(北海道興農)公社乳製品の生産実績(昭和16~19年度)>があり、生クリームの項がある。5貫目大缶が単位で、昭和16年度の生クリーム生産実績は21,034。昭和17年度は14,240。昭和18年度は3,335。
⑫『婦人之友 1950年12月号』第44巻第12号
p.84-87 「どこでも出来る誰にでも出来る きれいなデコレーションケーキ」大谷長吉
序文に「材料に不自由のない都会の方々ばかりでなく、山奥の農村でも、海辺に住まわれる方たちにでも手近かな材料で、役立てて頂けるようにいろいろ考えてみました」とある記事では、生クリームを使ったレシピの記載はない。
<カスタークリームアイシング>のレシピの中に「カーネーションミルク」とある。
※カーネーションミルクとは。
⑬昭和2年(1927年)8月5日読売新聞朝刊p.3(読売新聞データベース『ヨミダス歴史館』)
「牛乳の見わけ方 練乳の効力 砂糖と無砂糖物の取扱方の注意」に、練乳に砂糖が入ったものをコンデンスミルク、砂糖が入っていないものをカーネーションミルクというと書かれている。
⑭『森永乳業100年史』p.18 無糖練乳の項に「昭和初めにはカーネーションミルク(1899年発売)が日本でもよく知られており、ほぼ独占状態だった。」と記載あり、注記2に「カーネーション社は1985年にネスレ社参加となったが、カーネーションブランドは現在(2017年時点)でも健在である。」とも書かれている。
⑮『明治乳業50年史』
p.278 「 <明治フレッシュクリーム>28年7月から市販してきたクリームで、ホイップクリームと同様の容量、需要先であった。」と記載あり。※ホイップクリームの項には、「びん入り180mlと900mlと大小に分けたが、後者は特に製菓用、喫茶(きっさ)店用などの業者向けであった。」と書かれている。
⑯『栄養と料理 1953年12月号』第19巻第12号 (「栄養と料理」アーカイブス)
p.22-25 <豪華なデコレーションケーキ>深沢侑史
生クリームを主にしたクレーム・シャンテリイの作り方の記事があり、デコレーションの図案と、絞り袋の作り方の記載がある。
⑰『婦人之友 1953年12月号』第47巻第12号
p.106-111 <クリスマスの献立>入江茂忠・保母馨<クリスマスの薪(ガトウ ブッシュ ド ノエール)>にはバタークリーム、<クリスマスプティング>には玉子きみ、コーンスターチ、バタ、牛乳で作るクリームが紹介されている。生クリームの記載なし。
⑱『日本乳業年鑑1951年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)info:ndljp/pid/2458393
(25-27コマ)p.33-36<(5)乳製品の需給状況>の項目には、明治30年から昭和27年までの練乳・粉乳・バター・チーズ・カゼインそれぞれの生産・輸入・輸出(単位は函)、生産の価格(千円)が掲載されている。 また、<(6)牛乳生産量及び価格並に用途別乳量>に明治40年から昭和27年までの牛乳生産量(単位は石)・その価格(千円)・原料乳その他(石)・飲用牛乳(石)が掲載されている。しかしながら生クリームやクリームについての記載はない。
⑲『日本乳業年鑑1953年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)info:ndljp/pid/2458394
日本乳製品協会 編 日本乳製品協会 1953
(35-37コマ)p.50-55<(6)乳製品の需給状況>の項目には、昭和30年までのれん乳・粉乳・脱脂れん乳・脱脂粉乳・バター・チーズ・カゼインそれぞれの生産・輸入・輸出(単位は函)、生産の価格(千円)が掲載されている。 また、p.58(39コマ)<(7)牛乳生産量及び価格並に用途別乳量>に明治40年から昭和30年までの牛乳生産量(単位は石)・その価格(千円)・原料乳その他(石)・飲用牛乳(石)が掲載されている。しかしながら生クリームやクリームについての記載はない。
(20)読売新聞(読売新聞データベースヨミダス歴史館)
昭和30年(1955年)9月3日夕刊 p.2 「[ものしり先生]牛乳からどんなものができる?」という子ども向けの記事に、生クリームが出てくる。
⑥『洋菓子はじめて物語』
p.166-167 <ショートケーキの普及>について、「生クリーム自体の供給が潤沢にされだしてからのことで、それは戦後もしばらくたった頃。そして何よりこうした日持ちのしないものを安心して販売するにあたっては、冷蔵庫、冷蔵ショーケースの普及が絶対の条件となります。それがお目見えしてくるのがようやく昭和30年(1955)頃のことです。」と書かれている。
(21)『雪印乳業史 第2巻』0000598656
p.362-363 <第199表クロバー乳業の収入量と乳製品の生産実績>があり、生クリームの項がある。
5貫目大缶が単位で、昭和30年度の生クリーム生産量は2,339。前年比241(%)。昭和31年度は165、昭和32年度は3627、昭和33年度は4239。
(22)『栄養と料理 1956年3月号』第22巻第3号 (「栄養と料理」アーカイブス)
p.60 <イチゴひなケーキ>生クリームでデコレーションしたケーキのレシピの記載がある。その中に、<フィップクリーム>の項があり、生クリーム2~3合との記述とともに、「なるべく新鮮な生クリームをできれば冷蔵庫に入れておいて…」と書かれている。
(23)読売新聞(読売新聞データベースヨミダス歴史館)
昭和32年(1957年)11月20日夕刊 p.5 「不良生クリーム Xマスシーズン前に都内の十業者に始末書」に、「Xマスにつきもののデコレーションケーキの出回り期を迎え」「生クリーム製造は都内で二十業者」、とある。
⑭『森永乳業100年史』
p.282 森永乳業株式会社総合年表には、昭和32年(1957年)の6月20日に「森永フレッシュクリーム」(ビン詰め)発売が記載されている。
⑮『明治乳業50年史』
p.277-278 「 <明治ホイップクリーム>37年11月16日から発売したクリームで、びん入り180mlと900mlと大小に分けたが、後者は特に製菓用、喫茶(きっさ)店用などの業者向けであった。」と記載されている。<明治コーヒークリーム>はホイップクリームと同時に発売、容量・需要先はホイップクリームと同じであることも書かれている。
(24)朝日新聞(朝日新聞データベース聞蔵)
昭和45年(1970年)8月12日 p.17 「おしゃれな食品 生クリーム」の記事があり、「業務用の生クリーム消費量は、年々伸びる一方、家庭で使われるのは、まだ生産量の五%程度だが、ここ二年ほどの伸び方は目ざましい。」「前もって牛乳屋にたのめば手に入る」「大都市の場合はデパートや大手のスーパーなどでも買えるようになった。」との記述がある。