レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/07/11
- 登録日時
- 2023/12/01 00:31
- 更新日時
- 2024/03/30 00:43
- 管理番号
- M23071210441583
- 質問
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金光町の渡辺豊治の功績(顕彰碑の内容)が知りたい。
- 回答
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①『金光町誌』には、「研究家渡辺豊治(1894-1940)氏は植物の研究家としてその名高かつたほどあつて、二十余年間辛苦して、白花エニシダを改良して全国に見られない切花用優秀品の作成に成功した」と紹介されている。
②『おかやまの園芸 1963』には、「全国一の産地を誇る金光町の白花石化エニシダの栽培」が紹介されている。「エニシダの栽培は年々範囲を拡大されて、隣接の市町村にも波及しているが、これを作り出した郷土の先覚者、渡辺豊治故人の功績は、まことに大きく、昭和33年春、生産者の手によつて、木綿崎山麓の一角に、丈余の頌徳碑を建立」したとある。
③『写真集 明治大正昭和 浅口郡』には、「渡辺直次郎・豊治顕彰碑」の写真が収録されている。碑文内容は判読できないが、「弟豊次は、苦心の末白花エニシダを改良して、全国的にも例のない切花用優秀品を作り、出荷した」と解説されている。
④『金光町史 付録』には、「渡辺直次郎・豊治両翁頌徳碑文」の全文が翻刻されている。その中で「早クカラ牧野富太郎博士ノ指導ヲ受ケテ能ク植物ノ習性ニ通暁シ、マタ自ラ広ク山野ヲ跋渉シテ研究ヲ重ネ、ソノ間光藻・短葉黒松・黄実犬黄楊等ヲ発見シ学界ニ貢献スル」と紹介されている。
⑤『三和の灯』には、渡辺豊治は金光町の「大谷村津に出生」、「号は清風、清月、杜陵」とあり、その肖像写真とともに碑文の内容が掲載されている。
⑥『杜陵談叢』には、金光学園高等学校生物学教室が入院中の渡辺豊治を訪れ、その生涯を回顧する様子を聞き書きした内容がまとめられている。
⑦『郷土史を飾る人々 〔13〕』は、岡山放送局が「郷土史を飾る人々」として岡山で活躍する人物を紹介するシリーズの放送台本である。昭和32年10月2日放送の第129回では「渡辺豊治」が取り上げられ、牧野富太郎との出会いに関するエピソードやその功績がドラマ仕立てで紹介されている。
⑧『浅口郡植物誌』の巻末「浅口郡植物研究家名簿」にも「渡辺豊治氏(金光町津)」の名前が確認できる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『岡山県歴史人物事典』、『岡山県大百科事典』、『岡山県人物・人材情報リスト』に「渡辺豊治」の氏名は確認できたかった。
- NDC
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- 花卉園芸[草花] (627 9版)
- 参考資料
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①金光町誌編纂委員会『金光町誌』金光町(浅口郡) 金光町,1955,254p. 参照はp.174.
②岡山県『おかやまの園芸 1963』岡山 岡山県,1963,145p. 参照はp.100-102.
③森脇正之『写真集 明治大正昭和 浅口郡』 国書刊行会,2020,126p. 参照はp.109.
④金光町史編纂委員会『金光町史 付録』金光町(浅口郡) 金光町,2003,51p. 参照はp.46-47.
⑤金光町文化協会『三和の灯』金光町文化協会 金光町(浅口郡),1994,70p. 参照はp.63-65.
⑥渡辺豊治『杜陵談叢』鴨方町(浅口郡) [金光学園高等学校生物学教室],1955,68p.
⑦『郷土史を飾る人々 〔13〕』岡山 岡山放送局,1957,163p.
⑧佐藤清明『浅口郡植物誌』岡山 リムルス学会,1932,78p. 参照はp.77-78.
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①金光町誌編纂委員会『金光町誌』金光町(浅口郡) 金光町,1955,254p. 参照はp.174.
- キーワード
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- 渡辺杜陵
- 渡辺清風
- 渡辺清月
- 牧野富太郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2023071210414841583
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000342701