レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年10月10日
- 登録日時
- 2008/10/17 10:35
- 更新日時
- 2008/10/17 14:38
- 管理番号
- 9063
- 質問
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栗林公園の「新日暮亭(しんひぐらしてい)」の名前の由来
- 回答
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・朝日新聞 香川版 昭和42年3月17日 「栗林公園6 新日暮亭の庭木戸」の記事に次の記述あり。
「新日暮亭といえば、この呼称には早くから異論がある。もともと松平公三代目頼常が建てたといわれるが、明治初年いったん身売りされた。その間、新しい茶室が建てられ、それに日暮亭の名がつけられた。ところが、昭和二十年に身売りしたのが買戻され、日暮亭は二つになった。うやむやのうちに新旧の名が固定してしまったが、・・・」
- 回答プロセス
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・「栗林公園」[1967] ※朝日新聞(香川版)掲載記事の切り抜きの複製(K6292/S1/)で発見。
(1)栗林郷土誌(K2310/T5)
移築の経緯はあるが、命名由来なし
(2)新讃岐の茶室(K7916/S1)
p.92,93 移築の経緯はあるが、命名由来なし
(3)讃岐の名園紀行(K6292/N1/1-2)
p.120 「『新日暮亭』と呼んでいたが、建物の沿革上、近年これを『旧日暮亭』と改称した」とある。
また、岡野清豪(後の文部大臣)、大内松次(三友堂主人)も移築に関わっていたとある。
なお、岡野清豪は(10)讃岐人物風景14 p.118 に出てくるが、関連記述は見当たらなかった。
(4)茶心(7912/H2)
p.169「栗林公園日暮亭復興之記」あり。復興のいきさつが詳しく書かれているが、「新日暮亭」の命名のいきさつなし。
なお、著者の細谷喜一は、「讃岐の名園紀行」で「旧日暮亭」の移築に貢献したとして紹介されている。
※以下、(5)~(10)は、(3)讃岐の名園紀行 の参考文献として挙げられていたもの。(6)~(10)には関連記述が見当たらなかった。
(5)讃岐の庭園(K6292/F1)
p.42「この茶室の命名にあたって、おそらくこのときすでに園内には、明治末に新築された日暮亭が存在していたため、新日暮亭としたものであろうし、同時に日暮亭を旧日暮亭としたものではないだろうか。この茶室命名の経緯については、今後の検討を待たねばならないが。」とあり。
(6)栗林公園(K6292/F2)
(7)栗林公園(K6292/K118)
(8)香川県史(K2100/K31)
(9)高松市史(K2310/T1/1-~)
(10)讃岐人物風景14(K2810/S3/12-14)
- 事前調査事項
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もとは「日暮亭」と呼ばれていたものが、一度私人に売却され、昭和20年に再び園内に移設された。移設時、園内には既にもうひとつの新しい「日暮亭」が建設されていた。なぜ「旧日暮亭」ではなく、「新日暮亭」と命名したのか?
- NDC
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- 造園 (629)
- 日本の建築 (521)
- 参考資料
- キーワード
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- 日暮亭(ひぐらしてい)
- 栗林公園
- 新日暮亭(しんひぐらしてい)
- 香川県
- 茶室
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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(関連情報)
「新日暮亭」63年ぶり一般公開/栗林公園
(四国新聞HP 2008/10/16 09:39)
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/article.aspx?id=20081016000087&ref=rss
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000048102