レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年11月24日
- 登録日時
- 2024/01/12 17:57
- 更新日時
- 2024/02/07 09:17
- 管理番号
- 県立長野-23-163
- 質問
-
未解決
上伊那郡中箕輪村にあった木下製糸株式会社で運営にかかわっていた小松国重氏について知りたい。国立国会図書館デジタルコレクションで送信サービスで閲覧できるものは確認した。『大信濃』長野県人東京聯合改 昭和15 p.1269[641コマ 最終確認2024.1.13]に小松国重氏の三男の項があり、その中で、国重氏が幕末、高遠藩の御用商人として火薬の製造をしていたことが書かれていた。
- 回答
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小松国重氏の略歴等は確認できなかった。また、氏がかかわった製糸工場についても、国立国会図書館デジタルコレクションで確認できる資料以上に詳細がわかるものはなかった。
『荒井区百年のあゆみ』 荒井区誌編纂委員会編 伊那市荒井区 1999【N242/82a】p.178-185にかけて、明治後期から大正昭和初期にかけて荒井区における製糸業についての記述がある。その中でp.183-184にこの時期に荒井区にあった8つの製糸場を挙げている。
組合製糸 伊那社(室町) 北㇕ 響盟社(東町)
宮沢製糸 (室町) 忠㇕ 若林製糸(錦町)
長田製糸(錦町) 小松組(錦町)
㋕木下製糸(東町) ヨ㇕ 若林(錦町)
本章のはじめに述べたように上伊那では組合製糸が盛んで、大正初期に郡下には八つの組合製糸が
あった。これら組合製糸の間から連合会設立の動きが高まり、大正三年(一九一四)四月、有限責任伊
那生糸販売組合連合会龍水社が誕生し、本社を赤穂においた。昭和五・六年の大恐慌以来、不況に喘ぎ
廃業も相次ぐ製糸業界において、龍水社は昭和十三年には各組合製糸を合併して共同工場を持ち生産向
上に努めた。(-後略-)
とあるのみ。
『伊那市史 現代編』伊那市史編纂委員会編 伊那市史刊行会 1982【N242/86/2】p.445にも、この8工場を含む表がある。
『高遠町誌 上巻 歴史2』 高遠町誌編纂委員会編 高遠町誌刊行会 1983【N242/79/1-2】を調査したが、御用商人としての小松家に係る記述は確認できなかった。また、幕末の藩政の中で火薬製造を探したが、記載はなかった。
- 回答プロセス
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1 国立国会図書館デジタルコレクションで送信サービス資料を確認済みとのことだが、小松氏について把握するため、主な資料を確認する。
2 郷土人物を調査する際に使う『長野県姓氏歴史人物大辞典』等を確認する。中箕輪村の人物とのことから、『上伊那文化大事典』伊澤和馬編 信濃路出版 1990【N242/109】も調べるが、記載はない。
3 製糸にかかわっていることから、『信州蚕界之人物』尾崎章一著 信濃蚕業評論社 1929【N280/26】等を調べるが、記載はない。
4 既に調査済みの『信濃蚕糸業史 下巻』 江口善次, 日高八十七共編 大日本蚕糸会信濃支会 1937【N630/30/3】[最終確認2024.1.13] p.503-522に、「長野県下拾人繰以上器械製糸所一覧表 明治十二年二月現在」があり、上伊那地域はp.519-522に掲載されている。このうち中箕輪村の製糸場(4カ所)の持ち主名に、小松国重氏の名前は確認できない。上伊那地域全体を見ても、小松姓の人物は西高遠町の小松清五郎氏のみ。この表には、木下製糸株式会社および工場名の記載はない。
p.584-616に「十人以上器械製糸場調 明治十六年十二月現在」があり、上伊那地域はp.593-600に掲載されている。p.598に中箕輪村の製糸場(10カ所)がある。しかし、上伊那地域全体を見ても、小松姓の人物は確認できない。この表にも、木下製糸株式会社および工場名の記載はない。
続く、p.616-622に「揚籰器械場調 明治十六年十二月現在」があり、上伊那地域はp.617-621に掲載されている。p.620に中箕輪村の製糸場(10カ所)があるが、上伊那地域全体を見ても、小松姓の人物は確認できない。
5 国立国会図書館デジタルコレクションで送信サービスとなっていない『長野県史 近代資料編 第5巻(3) 蚕糸業』長野県編 長野県史刊行会 1970【N209/11-1/5-3】を見る。巻末に「明治二十六年 製糸工場表」(農商務省の農務局調査ニヨル)があり、そのp.35に上伊那郡中箕輪村が掲載されているが、表内に小松国重氏は確認できなかった。上伊那郡内で小松姓の人物は伊那富村の小松桃蔵氏のみ。工場名の項目は、社名の場合と人名の場合があるが、小松でも、木下製糸でも確認できなかった。
6 調査過程で、小さな製糸工場はやがて連合して「天龍社」や「龍水社」などのように経営形態を変えていったことがわかったので、社史である『龍水社七十年史』 龍水社七十年誌刊行委員会 1984【N631/14】[最終確認2024.1.13]をみる。p.68-72に「明治13年御巡幸ニ付調査セル製糸家一覧表(南信)」があるが、小松国重氏の名前は確認できない。
また、p.193-196に大正3年(1914年)に龍水社ができた当時の上伊那郡内製糸場一覧がある。小松国重氏の名前は確認できない。中箕輪村の項目には木下製糸株式会社の名称も記載はない。
7 高遠藩の御用商人とあったので、『高遠町誌 人物編』 高遠町誌人物篇編纂委員会編 高遠町誌刊行会 1986【N242/79/3】や『高遠町誌 上巻 歴史2』 高遠町誌編纂委員会編 高遠町誌刊行会 1983【N242/79/1-2】[最終確認2024.1.13]を調査したが、御用商人としての小松家に係る記述は確認できなかった。また、幕末の藩政の中で火薬製造を探したが、記載はなかった。
8 中箕輪村を中心に、周辺地区の村誌、区誌類を探す。『荒井区百年のあゆみ』の工場一覧に木下製糸を見つけるが、詳細は不明。『伊那市史 現代編』でも同様。
<調査資料>
・『長野県姓氏歴史人物大辞典』 長野県姓氏歴史人物大辞典編 角川書店 1996 【N288/158】
・『長野県史 通史編 第7巻近代1』長野県編 長野県史刊行会 1988 【N209/11-4/7】
・『信濃蚕糸業史 上巻』 江口善次・日高八十七編 信濃毎日新聞社 1975
(1932年 大日本蚕糸会信濃支会発行の復刻)【N630/30/1】
・『信濃蚕業沿革史料』 高島諒多著 吉田金次郎 1892 【N630/28】
・『長野県蚕糸業外史 上編』尾崎章一著 大日本蚕糸会信濃支会 1954 【N630/14/1】
・『長野県蚕糸業外史 中編』尾崎章一著 大日本蚕糸会信濃支会 1955 【N630/14/2】
・『長野県蚕糸業外史 下編』尾崎章一著 大日本蚕糸会信濃支会 1958 【N630/14/3】
・『近世の信州伊那・高遠』北原眞人著 伊那毎日新聞 1977【N242/71】
・『上伊那文化大事典』伊澤和馬編 信濃路出版 1990【N242/109】
・『長野県 上伊那誌 第3巻 現代社会篇』上伊那誌編纂会編 上伊那誌刊行会 1967【N242/32/3】
・『長野県 上伊那誌 第4巻 人物篇』上伊那誌編纂会編 上伊那誌刊行会 1970【N242/32/4】
・『高遠町誌 下巻 自然現代』 高遠町誌人物篇編纂委員会編 高遠町誌刊行会 1979【N242/79/2】
・『伊那市史 歴史編』伊那市史編纂委員会編 伊那市史刊行会 1984 【N242/86/3】
・『高遠町誌 人物編』 高遠町誌人物篇編纂委員会編 高遠町誌刊行会 1986【N242/79/3】
・『伊那谷のかいこ』 平沢清人文 熊谷元一え 伊那史学会 1970【N630/44】
・『帝国信興名鑑 長野県の部』丸山孝編 信興社 1904【N280/7】
・『上伊那聰芳録』池上久太郎編 上伊那聰芳録編纂会 1926【N280/14】
・『信州蚕界之人物』尾崎章一著 信濃蚕業評論社 1929【N280/26】
・『長野県生糸同業組合聯合会沿革史』竹中三吉著 長野県生糸同業組合聯合 1931【N630/20】
・『協同の礎伊那谷の天龍社 蚕と絹の歴史』天龍社 1984 【N630/69】
・渋沢社史データベース[最終確認2024.1.24]
人名 会社名ともにヒットなし
- 事前調査事項
- NDC
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- 蚕糸業史.事情 (632 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
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- 荒井区誌編纂委員会編. 荒井区百年のあゆみ 改訂版. 伊那市荒井区, 1999. (【N242/82a】)
- キーワード
-
- 小松国重
- 木下製糸
- 製糸工場
- 高遠藩
- 御用商人
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000344572