レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年05月31日
- 登録日時
- 2023/05/16 12:36
- 更新日時
- 2023/05/17 18:46
- 管理番号
- 9000039306
- 質問
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解決
1948(昭和23)年に、大正天皇の皇太后・貞明皇后が日下部村小原に行啓されたことについて書かれている資料があるか。
- 回答
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『日下部町誌』(飯島茂治/編 日下部町役場 1952年)、『山梨県蚕糸業概史』(小宮山實六/編 山梨県蚕糸業概史刊行会 1959年)、『貞明皇后』(大日本蚕糸会/編・発行 1951年)に、貞明皇后が昭和23年9月14日に日下部村に、蚕糸状況の視察のために行啓されたことが書かれている。
貞明皇后は、大日本蚕糸会総裁として1948(昭和23)年9月14日~17日に国中地方の蚕糸状況を、翌1949(昭和24)年5月12日・13日に郡内地方の蚕糸と機業を視察。1948(昭和23)年9月14日の朝、原宿駅から特別列車で召され、午後1時半日下部駅に到着、まず駅前にある加納岩町の富士シルク工業株式会社の製糸作業を視察の後、日下部村では、小原養蚕農協・若杉好平、小池清方にて、晩秋蚕飼育の状況を視察された。
- 回答プロセス
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1.自館業務システムで検索するが、「行啓誌」のようなものはない。
2.『山梨県警察史 下巻』(山梨県警察史編さん委員会/編 山梨県警察本部 1979年)〈資料番号0101965218〉
・警備の記録等はなし
3.県史、市町村誌を確認
・『山梨県史 通史編5 近現代1』(山梨県/編集 山梨日日新聞社 2005年)〈資料番号0104149687〉『山梨県史 通史編5 近現代2〉(山梨県/編集 山梨日日新聞社 2005年)〈資料番号0104110093〉、『山梨市史 通史編 下巻』(山梨市役所/編 山梨市 2007年)〈資料番号0104269527
〉を確認するが、関連記事の掲載はない。
・『日下部町誌』(飯島茂治/編 日下部町役場 1952年)〈資料番号0101922474〉→口絵写真(9枚目)に、「日下部町内養蚕家ご視察の貞明皇后/若杉好平宅に御成りのところ。/小池清宅に御成りのところ」がある。
pp.208-209農業の章の中に「貞明皇后の台臨」があり、1948(昭和23)年9月14日に、貞明皇后は日本蚕糸会総裁として山梨県下の養蚕ご視察のため、日下部町内養蚕家・小池清、若杉好平両家に台臨され、ご視察された等の記述。
4.日本蚕糸会総裁として養蚕ご視察のための行啓だと分かったので、山梨県の蚕業の歴史に関する資料を確認
・『山梨県蚕糸業概史』(小宮山實六/編 山梨県蚕糸業概史刊行会 1959年)〈資料番号0102035151〉pp.303-307「貞明皇后の蚕糸業御視察」の項あり。貞明皇后は、大日本蚕糸会総裁として、1948(昭和23)年9月14日~17日に国中地方の蚕糸状況を、翌1949(昭和24)年5月12日・13日に郡内地方の蚕糸と機業を視察された。視察のスケジュールの記載あり。
5.自館業務システムで件名「貞明皇后」を検索。
・大日本蚕糸学会の発行している伝記『貞明皇后』(大日本蚕糸会/編・発行 1951年)がヒットしたので、内容を確認。→「蚕糸・絹業御視察」の項pp.131-152に昭和23年24年の山梨県の視察についての記事の詳細あり。
6.マイクロフィルムで当時の新聞記事を確認
・「山梨日日新聞」昭和23年9月14日2面「皇太后きょう御入峡」
・「山梨日日新聞」昭和23年9月15日2面「糸姫達をお労い 皇太后陛下御入峡」「少女にお言葉」※写真(富士シルクで)
※「山梨日日新聞」昭和23年9月16日~17日は欠号
・「山梨時事新聞」昭和23年9月14日2面「皇太后きょう御入県」※視察今日の日程あり
・「山梨時事新聞」昭和23年9月15日[2面]「皇太后・県下の蚕糸業を御視察 造型ふかき御質問 若々し束ね髪に黒服姿」※写真(富士シルク御視察中)
・「山梨時事新聞」[昭和23年9月18日2面]「皇太后きょう御退峡」
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 10版)
- 蚕糸業史.事情 (632 10版)
- 参考資料
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飯島 茂治/編 , 飯島‖茂治. 日下部町誌. 日下部町役, 1952.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005544724-00 (口絵写真(9枚目),pp.208-209) -
小宮山 實六/編 , 小宮山‖實六. 山梨県蚕糸業概史. 山梨県蚕糸業概史刊行会, 1959.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005546409-00 (pp.303-307) -
大日本蚕糸会/編 , 大日本蚕糸会. 貞明皇后. 1951.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005565219-00 (pp.131-152)
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飯島 茂治/編 , 飯島‖茂治. 日下部町誌. 日下部町役, 1952.
- キーワード
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- 貞明皇后
- 行啓
- 視察
- 養蚕
- 日下部村
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 『孤高の国母貞明皇后:知られざる「昭和天皇の母」』(川瀬 弘至/著 産経新聞出版 2018年)〈資料番号0107238321〉pp.138-139,pp.277-279,pp.409-411の記述によると、貞明皇后がライフワークとなる養蚕を始めたのは1908(明治41)年5月のこと。1914(大正3)年には紅葉山御養蚕所を建設し、1917(大正6)年からは製糸も始めた。この頃の養蚕に関する知識や技量は本職並みだった。太平洋戦争により打撃を受けた養蚕業の精神的支柱として、大日本蚕糸会の総裁に就任を求める声が上がると、皇后は「飾り物にはなりたくない。名義だけの総裁はお断りする」と言い、1947(昭和22)年9月2に名実ともに最高位の総裁が誕生した。活動の中で特筆すべきは関東、甲信、東北などの農村にに足を踏み入れ、生産者を直接励まして回ったことである。1948(昭和23)年9月14日~17日には、山梨県加納岩村・日下部町・日川村・祝村・浅間村・甲運村・上野村・住吉村・敷島村・竜王村・塩崎村・甲府市などを巡啓した。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000333192