1.「黒磯駅沿革誌」について
お尋ねの資料は当館にも所蔵はなく、内容を確認できません。
事前にお調べになった資料も含め、複数の資料に当たりましたが、刊行の有無等について確認できませんでした。
調査の過程で使用した資料に「黒磯駅沿革誌」に関する記述を確認しました。
・『たばこの民俗 たばこ神社と旅館』(上田利男/著 国書刊行会 1977)
「三 たばこや旅館 駅前旅館として繁盛した黒磯 車の発達が旅館業を圧迫」の項に、「…(前略)…大正十年起稿の『黒磯駅沿革誌』に…(後略)…」という記述とともに、掲載されていたとされる表が転載されています。(p.200-201)
この「大正十年起稿」という記述や、事前にお調べになった『黒磯駅99年の歩み』(黒磯市立黒磯中学校郷土研究部/編、発行 1985)の「大正10年起」という記述から、一般に流通するような形での出版はなかった可能性も考えられると思われます。
なお、緬羊に関する記述ではありませんが、同様の内容の表は『那須野ケ原の鉄道100年史』(那須野ケ原の鉄道100年史編集委員会/編 那須野ケ原開拓史研究会 1986)に、p.48「3-31 大正10年の黒磯駅における駅弁販売業者〔黒磯駅「沿革誌」より作成〕」として掲載されています。
2.「谷村(谷邨)一佐」や「那須草羊圃」について
関連する記述を以下の資料に確認しました。
・『日本洋学人名事典』(武内博/編著 柏書房 1994)【館内】
「谷邨一佐」の項があり、略歴の中で大正六年に那須高原に草羊園(この資料では「園」となっています)を開いたと記述されています。(p.240-241)
・『栃木県那須郡誌 復刻版』(千秋社 2001)
収録されています「那須群制史」の「第三章 産業に關する施設 第五節 畜産及家禽の指導奬勵 (ハ)緬羊の奬勵」の項に、谷村一佐が大正八年に那須村高久に草羊圃を設け、郡がその事業を助けたと述べられています。
・『白桃 郷土文化誌 12~20号』(白桃会/編、発行 1950)
昭和25年5月から昭和26年10月発行分を、合冊製本したものになります。(一部、欠号または自館複製の号があります。)
このうち、19号に「羊塚の主・谷邨一佐翁のことども」(安達益之助/著)が収録されており、谷邨一佐の人となりや牧羊業に興味を持ったきっかけなどがまとめられています。(p.16-19)
羊塚についての言及もありますが、「高久御料地内」としか場所は記されていません。
谷邨一佐や草羊圃についても、当地(那須)には記録等は残っていないと記述されていますが、草羊圃の晩年の助手を務めた故・相馬甚之助氏の家には谷邨一佐草稿の『高久御料地借用陳情書』(一巻)があるとされています。
ただし、『高久御料地借用陳情書』については、所蔵等は確認できませんでした。
また、文末には「逐次足跡を紹介したい」として、次号以降全8回のタイトルが記載されています。
20号には「羊塚の主・谷邨一佐翁のことども 二.渡米緬羊と牧草の研究」が所収されており、明治期のアメリカ留学についてまとめられています。(p.28-30)
・『白桃 郷土文化誌 21~28号』(白桃会/編、発行 1952)
上記資料と同じく、昭和27年1月-昭和30年2月発行分を、合冊製本したものになります。(一部、自館複製の号があります。)
21号に「羊塚の主・谷邨一佐翁のことども 三.帰朝後牧草栽培に奔走」が所収されており、陸軍の土地を借りて各地で牧草を育てたことがまとめられています。(p.48-50)
なお、19号では全8回分のタイトルが記載されていましたが、これ以降に関しましては、当館に所蔵のある号からは確認できませんでした。(当館所蔵は28号までです。)
・『新聞集成 昭和編年史 昭和11年度』(平野清介/編 大正昭和編年史刊行会 1968)
「北海道の恩人ケ將軍の傳記完成〔一〇・一〇 東京朝日〕」の項で、谷邨一佐は作者として紹介される中で、簡易ではありますが草羊圃についても触れています。(p.639-640)
また、「世界の浪人谷邨老故國に酬はれず再び歐米への旅「草羊圃」もあつさり返却老いの身を來春早々〔一二・二七 報知新聞〕」の項に、草羊圃を宮内庁に返却することや、それまでの略歴が詳しく掲載されています。(p.824-825)
しかし、そのどちらにも羊塚に関する記述はありませんでした。
以下は当館未所蔵の資料になりますが、データベース等からも谷邨一佐について確認できました。
■J-STAGE
J-STAGEで公開されている雑誌より、以下の記事を確認しました。どちらも簡易ではありますが、草羊圃について触れられています。(インターネット経由で全文確認できます。)
・「緬羊と牧草」(谷邨一佐/著 「中央獸醫會雑誌」30巻10号 1917)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jvms1888/30/10/30_10_778/_article/-char/ja (2022.12.22確認)
・「国際人・谷邨一佐の修学と事業」(手塚竜磨/著 「英学史研究」1984巻16号 1983)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeigakushi1969/1984/16/1984_16_27/_article/-char/ja (2022.12.22確認)
■新聞記事
当館で契約している読売新聞データベース「ヨミダス歴史館」より、以下の記事を確認しました。
・昭和30年1月9日 3面 「メン羊の草分”ヒツジの仙人” 谷邨一佐翁、90年を語る」
「草羊圃」という記述はありませんが、「一番気に入ったのが本那須、ちょうど御用邸のすじ向かいに当たる地面だった。」と語られています。
■国立国会図書館デジタルコレクション
那須に関する記述はありませんが、谷邨一佐について紹介されている記事を確認しました。
・「書物展望 11巻10号」(書物展望社 1941)所収「頴才新誌投書家出世録」(田中彌十郎/著)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3555538(21-23コマ) (2022.12.22確認)