レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2011/06/03 14:39
- 更新日時
- 2024/01/27 16:08
- 管理番号
- 愛知県図-03062
- 質問
-
解決
名古屋で路上から屋台(露店)がなくなったことについての新聞記事が見たい。
- 回答
-
市内の屋台を全廃する方針が名古屋市から発表された際の記事
①昭和40(1965)年11月29日 朝日新聞 夕刊 9面 「消える名物“屋台”/広小路/来年秋から次第に」
②昭和40(1965)年11月29日 中日新聞 夕刊 9面 「姿消す広小路の露店/来年度中に撤去/市議会で土木局長答弁」
③昭和40(1965)年11月29日 名古屋タイムズ 9面 「消えゆく広小路名物/屋台は来年度限り/拡幅、埋設工事に追われ」
④昭和40(1965)年12月10日 広小路文化 4面 「移りゆく露店」
広小路通(笹島から栄)から移転などで屋台がなくなったことに関する記事
⑤昭和42(1967)年1月31日 中日新聞 夕刊 6面 「姿を消す二つの名物/車の急増に追われ/来月五日までに移転/広小路の屋台」
⑥昭和42(1967)年1月31日 名古屋タイムズ 9面 「心にしみた/屋台の酒/それも来月19日限り/広小路から、さようなら」
⑦昭和42(1967)年2月26日 名古屋タイムズ 8-9面 「人か車か、どちらを優先?/広小路通の“整形手術”」
⑧昭和42(1967)年4月8日 名古屋タイムズ 1面 「広ブラ族に/また屋台の味を/昔の情緒そのまま/六階建てビル/来春には完成します」
⑨昭和42(1967)年4月11日 朝日新聞 朝刊 16面(市内版) 「おなじみの屋台/あと五年限り/市・業者組合で取決め」
広小路通から移転した屋台の廃止期限間近の際の記事
⑩昭和45(1970)年3月24日 名古屋タイムズ 1面 「市内から消える屋台/四十七年三月限り/道路の拡幅に押されて」
市内全ての屋台の廃止の期限が延長されたことについての記事
⑪昭和47(1972)年3月31日 中日新聞 朝刊 8面(市民版) 「露店あと一年延命/市と組合で話し合いつく」
市内全ての屋台がなくなった際の記事
⑫昭和48(1973)年3月29日 中日新聞 朝刊 10面(市民版)「さらば屋台/あと二日/寂しいなぁ…と常連/業者は転業に不安訴え」
⑬昭和48(1973)年4月1日 朝日新聞 朝刊 14面 「春惜しむ/名古屋の屋台」「庶民憩いのサロン静かにフィナーレ」
- 回答プロセス
-
【資料1】『新修名古屋市史 第7巻』の「第一章 戦後復興期 第四節 混乱からよみがえる市民生活」によると、「笹島から栄に至る広小路には歩道を利用して四〇〇店に及ぶ屋台・夜店が軒を連ねて営業していたが、衛生上の問題や都市の美観を損ね、交通の障害になるなどの理由で禁止された。最後の屋台が消えたのは七三年の春であった。」(p.201)とある。
【資料2】『名古屋市歴史まちづくり戦略』の第3章(戦略2)に「広小路の屋台は不衛生だとして昭和48年(1973)3月31日の夜を限りに、姿を消した。」(p.70)とあった。
このことから【資料3】「朝日新聞クロスサーチ」及び【資料4】『中日新聞縮刷版』で昭和48年3月末から4月初めの新聞を確認。
中日新聞の昭和48年3月29日朝刊(⑫)と、朝日新聞の昭和48年4月1日朝刊(⑬)に記事があった。⑬によると「四十五年四月に名古屋の目抜き通り広小路から屋台が追われ」、「四十二年三月に名古屋市と屋台の組合である愛知県小商業協組が「四十七年四月以降、市の公道上では営業しない」との覚書をかわし…(略)…その後、営業期間延長の要求を市が認め、屋台が一番多く残っていた今池を中心に…(略)…寿命が一年だけのびた」とあった。また、⑫に「露店業者は、昨年三月二十九日取り交わした県小商業協同組合と市土木局との約束通り、全廃する方針」とあった。
担当が土木局であったことから、【資料5】『土木行政のあゆみ』を確認。「第2章 道路行政のあゆみ 第4節 道路の管理」に「広小路屋台」(p.145)の項目があり、「土木局と屋台業者の愛知県小商業協同組合とが話し合いを続けた結果、広小路通については昭和45年3月まで、その他の地区については昭和47年3月までに限り道路の占用を許可することで合意」したとあり。その後、「広小路通以外の屋台についてはその起源を一年間延長したが、昭和48年3月までにすべての屋台が…(中略)…すべて路上から消えていった」とあった。
また、同資料の年表の昭和40年9月に「広小路通の車道拡幅に伴う露店の整理開始」(p.536)、昭和42年3月26日に「道路上の露店の廃止に関する覚書締結(名古屋市土木局長・愛知県小商業協同組合長)、全廃の期限を昭和47年3月31日と決定」(p.540)とあり。
屋台の廃止を決定した時期について、月刊の【資料6】『広小路文化』に手がかりを求めて昭和40年9月付近の記事を確認したところ、昭和40年12月10日の4面に(④)があり、「十一月末の新聞」で広小路の露店を立ち退かせる計画を発表したことが書かれていた。
これにより、【資料3】「朝日新聞クロスサーチ」、【資料7】『中日新聞:市民版』、【資料8】『名古屋タイムズ』で昭和40年11月末頃を確認すると、いずれも11月29日の夕刊に名古屋市議会で露店の退去についての土木局長が答弁した内容が掲載されていた(①②③)。①に「四十一年秋から四十二年一月ごろまでの間にすっかり姿を消すことになった」、②に「昭和四十一年度中に広小路通から露店をなくす方針」と書かれていた。このことから昭和42年1月末頃及び3月末頃の記事も確認したところ⑤~⑨を得た。
⑨の記事に市土木局と県小商業協同組合の間で「広小路通の拡張工事で移転した屋台は、昭和四十五年三月末までに」、「その他の地域の屋台は昭和四十七年三月末までに廃業するとの話合いがついた」とあり、【資料5】『土木行政のあゆみ』や⑬の記事にも同様の期限として昭和45年3月末と昭和47年3月末が挙げられていたので、その時期について【資料3】「朝日新聞クロスサーチ」、【資料7】『中日新聞:市民版』、【資料8】『名古屋タイムズ』により確認したところ、⑩⑪を得た。⑪の記事には全廃の期限が一年延長されることが書かれていた。
これらの新聞記事等により以下の経緯がわかった。
昭和40年11月29日 名古屋市議会で土木局長が屋台を全廃する方針について答弁。
昭和42年1月末 栄交差点から伏見交差点までの屋台は移転などにより全廃。
昭和42年2月 伏見西の屋台なども2月19日までに撤退。
昭和42年3月26日 市土木局と小商業協同組合が昭和45年3月までに広小路通りの道路拡幅工事で移転した屋台、昭和47年3月末までにその他の屋台を廃業とすることで合意。
昭和45年3月末 広小路通拡幅工事で移転した屋台が廃業。
昭和47年3月下旬 転業の見通しが立たない店があることから、期限を1年間延長する覚書を市土木局と小商業協同組合が覚書を交わす。
昭和48年3月末 全ての屋台が廃業。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 商業経営.商店 (673 9版)
- 衛生工学.都市工学 (518)
- 地方自治.地方行政 (318)
- 参考資料
-
-
【資料1】新修名古屋市史編集委員会 編 , 名古屋市. 新修名古屋市史 第7巻. 名古屋市, 1998.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002751140-00 (当館資料コード:1109212358) -
【資料2】名古屋市. 名古屋市歴史まちづくり戦略 : 「語りたくなるまち名古屋」の実現をめざして. 名古屋市住宅都市局まちづくり企画部歴史まちづくり推進室, 2011.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000011238865-00 (当館資料コード:1110249397) - 【資料3】朝日新聞クロスサーチ(朝日新聞記事データベース) (最終確認日 20231101)
- 【資料4】中日新聞本社. 中日新聞縮刷版
-
【資料5】名古屋市. 土木行政のあゆみ. 名古屋市土木局, 1983.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002604739-00 (当館資料コード:1101533008) -
【資料6】広小路文化社. 広小路文化.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000056202-00 - 【資料7】中日新聞社. 中日新聞:市民版 マイクロフィルム版
- 【資料8】名古屋タイムズ社. 名古屋タイムズ CD-ROM版
-
【資料1】新修名古屋市史編集委員会 編 , 名古屋市. 新修名古屋市史 第7巻. 名古屋市, 1998.
- キーワード
-
- 屋台
- 露店
- 広小路通
- 道路
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000087073