レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年10月21日
- 登録日時
- 2016/01/12 14:32
- 更新日時
- 2017/02/04 14:49
- 管理番号
- 秋田-1894
- 質問
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解決
秋田県内でわらび粉を農作物として生産していた集落を知りたい。
また、飢饉の際救荒食として利用した例など、わらび粉に関する資料を知りたい。
- 回答
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わらび粉(わらび)の記述を確認した資料は下記のとおり。
・『秋田の特用林産物 平成21年秋田県版』秋田県農林水産部農畜産振興課野菜・畑作・特用林産班/編、2009
p3 2.秋田県特用林産物生産実績(年次別)
→わらびの平成16年~20年の生産量・生産額の表が記載あり。
p5~6 3.市町村別特用林産物生産実績
→秋田県内・市町村別の生産量が表形式で記載あり。
(表の項目にわらびが含まれる「山菜」の項目があり、市町村別に生産量がわかる。)
・『日本の食生活全集5 聞き書 秋田の食事』農山漁村文化協会/編、1986
p290~291 さまざまな山菜
→山菜の紹介に「わらび」の項目の記載あり。
p310~312 わらび
→ねばな・ねばなもちの調理方法と、ねばなが盛んだった地域の紹介の記載あり。
p340~343 一、凶作と飢饉ー救荒食
→天保五年、飢饉における救荒食としてわらび根を掘るために仮掛けした等、救荒食(わらび含む)について詳細に記載あり。また、ねばなもち(わらびの根もち)の調理方法、秋田県のねばなの産地、ねばなに関する記述が多く記載あり。
・『秋田の古文書研究(4) 江戸時代の惨状』長岐喜代次/編著、1994
p10(一)置きみやげ添日記
(一部抜粋)蕨の根の粉にしたものを混ぜて食べていたが、これも食い尽くしたので (以下略)
p21(四)長谷川伊三郎の「天保飢饉の見聞録」
(一部抜粋)なるほど、この土に根花の粉(わらび根の粉)を入れて餅に侟えたのを見れば、うまそうに見えるけれども、これを食べた者は末には糞づまりになり、大変苦しんだそうである。
p29 五 秋田の城下町と県南の惨状 (一)秋田城下町の惨状
→混ぜ物の一つに「蕨粉」と簡潔に記載あり。
p30(二)県南地方の惨状
→「近く野山は蕨が多い場所であるが~」と簡潔に記載あり。
p54~55 第四章 飢饉の時の食事法 二救荒食物の加工法
(一部抜粋)これらの救荒食物の中で、最も多く用いられたものは、蕨の根からとった澱粉で作った「わらびの根もち」であったが、これは、米の粉か麦の粉を交えて食うべく、わらびの粉ばかり食ってはいけないと注意を与えている。(この他に「わらびの根」・「わらび粉をとる」・「わらびの根堀り」・「加工用の根舟」の写真が掲載。)
p72 第五章 資料編 二天保飢饉の惨状要約
→「わらびの根」の製造法が記載あり。
4.『秋田県史 民俗・工芸編』秋田県/編、1978
p415~420 食物 一、概要
(一部抜粋)半年も雪に閉ざされている秋田人の暮らしには、食品の貯蔵方法が自然に工夫され、その発達を促したことである。干し蕨・干しぜんまいは藩政当初すでに秋田の産物で、上流士家の贈答に頻りに利用されている。
p426 「葛や蕨の粉でつくる葛餅・蕨餅がある」のみ記載あり。
p430 葛餅と蕨餅
→蕨餅を簡潔にまとめた製造法と蕨餅・秋田藩主の関わりについて記載あり。
p442 山菜
→蕨の調理方法を簡潔に記載した内容と、「その根から採取する蕨粉は重要な救荒食品である」と記載あり。
- 回答プロセス
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①"わらび"・“わらび粉”にて当館の所蔵を検索。
②該当資料がヒットし内容確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 衣食住の習俗 (383 8版)
- 森林利用.林産物.木材学 (657 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- ワラビ
- 山菜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 受付方法:2015/10/13、メール
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000186960