レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/11/14
- 登録日時
- 2021/12/29 00:31
- 更新日時
- 2024/03/30 00:41
- 管理番号
- M21032817514735
- 質問
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小串村の砲台跡付近に、肥料を製造する工場があったそうだが、何か資料はないか。
- 回答
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資料①『門田村誌 小串村誌 阿津村誌補足と覚え書』によると、「城山のふもとに肥料工場が建設されて、数本の煙突から吐きだす黒煙は町の発展を象徴し(後略)」といった記述が見られる。昭和3年(1928)時点の事業所として、「大日本人造肥料株式会社・岡山工場」、「笠谷製肥所」が出ている。
資料②『小串村誌稿』では、小串村の港湾が明治末から出入りの汽船が増えるなど発展したことについて「銅や人造肥料の輸出によるものであろう。」とある。また、砲台の遺跡に関する項目では、明治38年(1905)に「日本製銅硫酸肥料株式会社」が設立され、大正6年(1917)に「大日本人造肥料」に合併、その後「日産化学工業株式会社」の岡山工場となったことなどが書かれている。
資料③『産業革命期における地域編成』にも、「小串村に肥料工場(大日本人造肥料株式会社岡山工場、硫酸肥料、一九一八年九月創業、職工九三人)がある。」と紹介がある。
資料④『大日本人造肥料株式会社五十年史』には、大日本人造肥料株式会社・岡山工場の沿革や規模について紹介があり、口絵には工場の写真もある。
資料⑤『岡山県 児島郡案内誌』には、大日本人造肥料株式会社岡山工場の田中工場長の略歴が確認できる。
資料⑥『岡山県児島郡産業調査書』、資料⑦『岡山県工場、会社通覧』、資料⑧『〔岡山県工場協会〕会員名簿』、資料⑨『岡山県商工要覧 昭和15年版』などにも工場名、統計数字などが出ている。
また、資料⑩『昭和九年風水害誌』には、昭和9年(1934)の水害による被害額等も出ている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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資料① 吉岡三平、小山保『門田村誌 小串村誌 阿津村誌補足と覚え書』岡山 吉備郷土研究会,1981,127p.参照はp.122.
資料② 小磯俊介『小串村誌稿』岡山 小磯俊介,1984,139p.参照はp.12-13,65-66.
資料③ 神立春樹『産業革命期における地域編成』 御茶の水書房,1987,254p.参照は
資料④ 大日本人造肥料株式会社『大日本人造肥料株式会社五十年史』 大日本人造肥料,1936,327p. 参照はp.96-97,229-231.
資料⑤ 岡本芳衛『岡山県 児島郡案内誌』岡山 児島郡案内誌編纂会,1922,164p.参照はp.163.
資料⑥ 児島郡役所『岡山県児島郡産業調査書』味野町(児島郡) 児島郡役所,1923,320p.参照はp.251.
資料⑦ 岡山県知事官房統計課『岡山県工場、会社通覧』岡山 岡山県知事官房統計課,1933,74p.参照はp.31.
資料⑧ 岡山県工場協会『〔岡山県工場協会〕会員名簿』総社町(吉備郡) 岡山県工場協会,1939,108p.参照はp.39.
資料⑨ 岡山県経済部商工課『岡山県商工要覧 昭和15年版』岡山 岡山県経済部商工課,1940,236p.参照はp.149.
資料⑩ 岡山県『昭和九年風水害誌』岡山 岡山県,1935,324p.参照はp.57.
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資料① 吉岡三平、小山保『門田村誌 小串村誌 阿津村誌補足と覚え書』岡山 吉備郷土研究会,1981,127p.参照はp.122.
- キーワード
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- 中国肥料株式会社
- 安田商事株式会社岡山支店安田製肥所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2021032817595214735
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000309716