レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年08月04日
- 登録日時
- 2021/03/30 14:14
- 更新日時
- 2024/01/15 11:08
- 管理番号
- 横浜市中央2625
- 質問
-
解決
横浜市の平沼新田に関係する文献や絵図について書かれている資料が知りたい。
- 回答
-
以下の資料に記載があります。
1 文献
(1)『横浜の新田と埋立(横浜郷土双書)』 内田四方蔵/編 横浜市図書館 1972
昭和44(1969)年度に横浜市図書館で開催した「横浜の埋立展」の研究資料をまとめたものです。
p.21-23 第三章 帷子川下流地帯の開発 6 平沼新田
「天保十年(一八三九)五代目平沼久兵衛のとき開発をはじめ、六代目久兵衛は事業継続
中に病気で没し、七代目久兵衛のときに大成した。(中略)明治七年地先の海岸を埋め立て、
明治二十年代に地揚げ工事を行ない、明治後半から大正年代にかけて商工業地帯として発展した。」とあります。
史料として天保14(1843)年、慶応3(1867)年の「保土ケ谷宿場組合村々石高書上帳」
にふれているほか、「天保年間の平沼・尾張屋・岡野・藤江各新田図(原図軽部家蔵)」、
安政6(1859)年の「横浜開港地割ノ図」が掲載されており、平沼新田が描かれています。
(2)『保土ケ谷区郷土史 上』 保土ケ谷区郷土史刊行委員部/編 1938.3
p.305-317 天保14(1843)年「保土ケ谷宿場組合村々石高書上帳」が載っています。
「平沼新田 高五拾壹石壹斗九升五合 家数四軒」とあります。
(3)『横浜西区史 区制50周年記念』
横浜西区史編集委員会/編 横浜西区史刊行委員会 1995
p.85「製塩業」p.102「平沼新田」
「保土ヶ谷宿場組合村々石高書上帳」のほかに、『明治十四年神奈川県統計書』を資料と
してあげています。
(4)『保土ケ谷区史』
保土ケ谷区史編集部会/編 横浜市保土ケ谷区制70周年記念事業実行委員会 1997.10
p.145-146 平沼・岡野新田
資料1(2)を参考文献として、「嘉永三(一八五〇)年の記録によると、百姓九兵衛は酒造
高五〇石永三七五文という宿内唯一の造酒家であったため、開発された新田は、麹屋(こ
うじや)新田とも呼ばれた。」とあります。
(5)『横浜の埋立展 吉田新田開発より現代の埋立まで』
横浜市図書館、横浜郷土研究会/〔共〕編 横浜市図書館 1969.10
「横浜の埋立展」で配布された冊子です。
p.1-5「帷子川下流地帯の開拓」
平沼新田の概要と、関連する史料名が紹介されています。
(6)「展示余話 横浜開港後における尾張屋新田・平沼新田について」斉藤司
(「開港のひろば」第139号 横浜開港資料館 2018.1.31)p.4-5
「開港場横浜の原風景」展の余話です。開港以後における平沼新田等の状況が書かれてい
る資料として、「慶応3年(1867)4月10日乍恐以書付奉願上候(軽部紘一家所蔵)」を
紹介しています。
こちらの資料は横浜開港資料館のホームページで閲覧できます。
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/139/03.html
(7)『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』
「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編纂 角川書店 1984
p.755 平沼新田
天保14(1843)年、慶応3(1867)年の家数・人数のほか、明治2(1869)年、明治5(1872)
年、明治24(1891)年の戸数・人口が書かれています。
(8)『日本歴史地名大系 第14巻 神奈川県の地名』 平凡社 1984
p.102 平沼新田
「明治六年平沼町と改名。同七年平沼九兵衛ら八名が総代人として平沼町地先、横浜道以
東の海面埋立を出願、同九年完成し、一一月仲町・材木町となった。」とあります。
2 絵図
(1)『近世横浜海岸部の新田開発横浜市歴史博物館企画展』
横浜市歴史博物館/編 横浜市ふるさと歴史財団/編 横浜市歴史博物館 2010.9
横浜市歴史博物館企画展の展示図録です。
p.3「1.武州荏原郡糀谷村より久良岐郡戸部村迄寄洲新開場書上帳」
p.21-23 28~30「帷子川河口新田絵図」
平沼新田関連の文書、絵図が載っています。「29.帷子川河口新田絵図」は「軽部紘一氏所蔵」となっていること、
「文化十四丑御高入藤江新田」など絵図に書かれている内容が同じことから、資料1(1)の「天保年間の平沼・
尾張屋・岡野・藤江各新田図(原図軽部家蔵)」の原図と思われます。
(2)『開港場横浜の原風景 350年の歴史を探る』
横浜開港資料館/編 横浜市ふるさと歴史財団 2017.10
横浜開港資料館企画展示の展示図録です。
資料2(1)と同様に「帷子川河口新田絵図」3点が載っています。
(3)『横浜市史稿 附図』 横浜市役所/著 横浜市役所 1932.10
五 横浜開港地割之図
資料1(1)でも紹介されている絵図が収録されています。
こちらの資料は横浜市立図書館デジタルアーカイブ都市横浜の記憶でも閲覧できます。
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/detail?cls=collect_01&pkey=00022030
(4)『横浜近郊文化史』 石野瑛/著 文学社 1927.6
p.309 平沼及び岡野新田
「軽部三郎氏の蔵する旧保土ケ谷名主苅部清兵衛が半紙に書いた見取図には藤江新田は
文化十四年に高入し、平沼新田は天保十年に高入し、(中略)民家も帷子川の畔に平沼家
ほか数戸が見ゆるばかりである」とあります。
(5)『大日本地名辞書 第6巻 坂東』 吉田東伍/著 冨山房 1970.6
p.162 平沼
「平沼新田は正保国図に載せず、其分野を入江と為し、柴生、岩間まで全く水面たりしこ
と明白なり。」とあります。
URL最終確認日:2023年12月25日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 8版)
- 河海工学.河川工学 (517 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000295956