レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年12月28日
- 登録日時
- 2024/01/11 10:14
- 更新日時
- 2024/01/25 23:32
- 管理番号
- 県立長野-23-160
- 質問
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解決
諏訪鉄山について、次の3点がわかるか。
1.開発が始まった年
2.連合軍捕虜が鉄山で働き始めた年
3.川崎の日本鋼管にいた捕虜が、1945年6月に諏訪に疎開したという記述が『本土決戦と外国人強制労働』の本文中にあるが、その出典
- 回答
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1 諏訪鉄山の開発が始まった年
「諏訪鉄山」「諏訪鉱山」「北山鉄山」などと呼ばれ、歴史を遡ると戦国時代の武田信玄が採掘したと伝えられている。
文献で、諏訪鉄山の開発記録が確認できるのは明治期以降。
鉱山の採掘や鉄の利用について、以下の資料に年表形式での記述があった。
・『諏訪鉄山記録』諏訪鉄山の歴史保存をすすめる会編・刊2011【N562/11】p.46-48
・『平和を今こそ』伊藤岩広編 長野日報社 2009【N562/7】p.163-164
・『戦跡としての諏訪鉱山』五味省七著 諏訪郷土研究所 2005【N562/4】p.166-167
2 諏訪鉄山で連合軍捕虜が働き始めた年について
『諏訪鉄山記録』(前述)p.32によると、昭和20年6月4日、連合軍捕虜が蓼科に建設されたばかりの捕虜収容所に
到着しましたとある。
また『戦跡としての諏訪鉱山』(前述)のp.119-130「第六章 諏訪に来た国際連合軍の捕虜」の中でも、諏訪捕虜
収容所の開所は昭和20年6月4日となっている。
3 『本土決戦と外国人強制労働』本文中記述の出典について
p.154-155にある、捕虜が1945年6月に諏訪に疎開した旨の出典については不明。
<調査資料>
・『五十年史』日本鋼管株式会社50年史編纂委員会編纂 日本鋼管 1962【564/51】
・『長野県の鉱山と鉱石』市川正夫著 信毎書籍出版センター 2010【560.92/イマ】p.136-141
・『茅野市史 下巻』茅野市編・刊 1988【215.2/チノ/3】p.523-528
・『諏訪の近現代史』諏訪教育会編・刊 1986【N241/155】p.610-612
・『奥蓼科の歴史』北沢栄一著 草原社 1982【N241/156】
諏訪鉄山では、連合軍捕虜の他に徴用工や学徒動員等も労働しており、地元の旅館の大部分が寮や病院等として
接収された記述がある。
- 回答プロセス
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1 レファレンス共同データベースに類似するものがないか、キーワード「諏訪鉄山」「捕虜」で検索し、茅野市立図書館の事例を見つける。
「茅野市にあった諏訪鉄山についての資料をみたい。」
「茅野市にあった「東京俘虜収容所第六分所」の所在地を特定する情報や、その他関係する資料を探している。」<最終確認:2024.1.11>
2 上記事例中の参考資料を中心に、地元の市町村誌及び歴史書、鉱山工学関連の書架で探す。
3 日本鋼管の社史を所蔵していたので、念のため内容を確認する。
- 事前調査事項
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『本土決戦と外国人強制労働』長野県強制労働調査ネットワーク編著 高文研 2023
- NDC
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- 国防史.事情.軍事史.事情 (392)
- 採鉱.選鉱 (561)
- 参考資料
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- 諏訪鉄山の歴史保存をすすめる会編. 諏訪鉄山記録. 諏訪鉄山の歴史保存をすすめる会, 2011. (当館請求記号 【N652/22】)
- 伊藤岩広編. 平和を今こそ. 長野日報社, 2009. (当館請求記号 【N562/7】)
- 五味省七. 戦跡としての諏訪鉱山. 諏訪郷土研究所, 2005. (当館請求記号 【N562/4】)
- キーワード
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- 諏訪鉄山
- 強制労働
- 捕虜収容所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000344509