レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年4月2日
- 登録日時
- 2021/08/17 17:01
- 更新日時
- 2021/10/05 10:23
- 管理番号
- 京歴-606
- 質問
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解決
夷川通(京都市)が家具屋街になった理由が知りたい。また、昔の写真や名所図会などのビジュアル資料はないか。
- 回答
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次の2点が家具屋街になった経緯にふれている。
『京都家具産地診断報告書 : 夷川家具専門店街の課題とその活性化, 続』(①)
この地に家具店が集積した背景は定かでなく、あるいは自然発生的なものかと推測しつつ、次のようにその遠因を述べている。
「江戸末期の「禁門の変(ドンドン焼け)」(1864年)の兵火で、御所から中京一帯が焼野が原になったが、いち早く復興したのが同地付近といわれる。(中略)夷川の中で最も歴史のある商店が、江戸末期であることもこのことを裏付けているように思われる。」(p.1)
『竹間:竹間こども風土記』(②)
本書も、御所に近いことから夷川通には出入りの職人が多く集まっていたとしつつ、禁門の変に際して「夷川には、いち早く木工の職人が集まり、復興に励んだ」と述べている。(p.31)
また近代以降の動きにもふれ、次のように記している。
「大正期の好景気には、家具や室内装飾の意識が高まり、色々な家具の店ができた。また婚礼のための家具店も増え、大正15年には、夷会(後、夷川会)を結成。「夷川は家具の街」という大々的な新聞広告を載せ、全国でも広く知られるようになった。」(同上)
戦後のものではあるが、通りを写した写真が載っている資料に次のものがある。
『京都市の昭和 : 写真アルバム』(③)
・昭和29年撮影(p.2; カラー)
・昭和53年頃撮影(p.59; モノクロ)
- 回答プロセス
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まず地名事典類(『京都市の地名』(平凡社)『京都通り名ものがたり』(有村政則)『京都大事典』(淡交社)等)を見たが、家具屋街の理由は書かれていなかった。
次に蔵書検索システム(OPAC)でキーワード「夷川△家具」「夷川△商店街」等と検索し、資料①を確認。
また、地区別に配架された開架(京都の歴史・地誌)の「中京区」をブラウジングし、資料②を見つけたため紹介した。
写真については、当館が所蔵する写真資料の担当に確認を依頼したが、「見つからず」と回答があったため、改めてOPACを件名「京都市△写真」で検索し、資料③を確認した。
- 事前調査事項
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夷川通の方に聞いたところ、御所の周りに腕のよい職人が集められたからではないか、と言われたとのこと。
- NDC
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- 商業史.事情 (672 10版)
- 木工業.木製品 (583 10版)
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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- 『京都家具産地診断報告書 : 夷川家具専門店街の課題とその活性化, 続』京都府立中小企業総合指導所編 京都府立中小企業総合指導所 1981 (当館請求記号:MK0||583.7||Ky6||)
- 『竹間:竹間こども風土記』竹間自治連合会 [編] 竹間自治連合会 2013 (当館請求記号:K13||216.2||C44||)
- 『京都市の昭和 : 写真アルバム』いき出版/京都府教科図書販売 (発売) 2016 (当館請求記号:K1||216.206||Ky6||)
- キーワード
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- 地誌
- 夷川通
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000303293