レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月16日
- 登録日時
- 2022/09/22 00:30
- 更新日時
- 2023/12/01 00:31
- 管理番号
- 3A21007646
- 質問
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解決
大阪城が古墳の上に築造されているという話の根拠を知りたい。
- 回答
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「大阪城が古墳の上に築造されている」といった記述がある資料を紹介します。
ただし、その根拠となる記述は見つかりませんでした。
(1) 『復原図譜日本の城』 (西ケ谷 恭弘/著 理工学社 1992.1)
p.118-121「秀吉の築いた大坂城-大阪城の出現と近世城郭のはじまり-」のp.118に「大坂城が仁徳天皇陵に匹敵する巨大前方後円墳であったらしいという新聞報道を見て、(中略)藤枝晃氏が大阪空港着陸寸前に機内から大坂城上空でみた光景が発見のヒントとなった(1990年1月28日付毎日新聞大阪版)」と記述があります。ただし、その他の根拠らしきものは特に示されていません。
(2) 『毎日新聞』1990年1月28日 朝刊 9面「日曜くらぶ 発掘の迷路を行く(70) 消えた幻の大古墳~大阪城の“形”の謎~墳丘利用の築城説」
上記資料(1)で触れられている新聞報道です。この連載は下記資料(3)におさめられています。
(3) 『発掘の迷路を行く 上 古典考古学以後』 (岡本 健一/著 毎日新聞社 1991.6)
p.264-270「消えた幻の大古墳―大阪城の形の謎」が掲載されています。「敦煌研究で知られる藤枝晃京大名誉教授」が飛行機で大阪空港に着陸する際「濠をめぐらした巨大な仁徳陵(大山古墳)と大阪城が、平面形でも側面観でも、―とりわけ斜め上からの立体観で、実によく似て見えたのだ。(中略)「大阪城の本丸は、もとは前方後円墳の墳丘だったのではないか」とひらめいたのだ。」という記述があります。また、以上の記述に続いて、石山本願寺と大阪城築城のさい、古墳が壊されたという伝承はあるが、それを裏付けるような文献等は残っていないことが紹介されています。
- 回答プロセス
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1.当館所蔵検索システムにて、フリーワード“大阪城 古墳”で検索、有用資料ヒットなし。
2.当館職員より、「城郭史家の西ケ谷恭弘氏の著作で見た記憶がある」とのことだったので、当館所蔵検索システムにて、著者を“西ケ谷恭弘”として検索、資料(1)が見つかる。
3.資料(1)の記述より、当館が所蔵する藤枝晃氏の著作を確認するが、有用情報見つからず。
4.資料(1)の記述より、『毎日新聞』1990年1月28日の記事を確認。資料(2)が見つかる。
5.資料(2)の執筆者の著作を当館蔵書検索システムで検索、資料(3)が見つかる。
6.「Google」にて、キーワード“大阪城” 古墳”で検索するが、有用情報見つからず。
7.当館所蔵検索にて件名“古墳-辞典”で検索、有用情報見つからず。
8.「国立国会図書館デジタルコレクション」にて、タイトルを“大阪城”、キーワード“古墳” で検索するが、有用情報見つからず。
9.「Googleブックス」にて、キーワード“大阪城 古墳”で検索するが、有用資料ヒットなし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 日本の建築 (521 9版)
- 参考資料
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- 当館書誌ID <0000254333> 復原図譜日本の城 西ケ谷 恭弘/著 理工学社 1992.1 9784844530152 資料(1)
- 当館書誌ID <0000196090> 発掘の迷路を行く 上 古典考古学以後 岡本 健一/著 毎日新聞社 1991.6 9784620307961 資料(3)
- 『毎日新聞』1990年1月28日 朝刊 9面「日曜くらぶ 発掘の迷路を行く(70) 消えた幻の大古墳~大阪城の“形”の謎~墳丘利用の築城説」 資料(2)
- キーワード
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- 大阪府大阪市中央区
- 大阪城
- 古墳
- 藤枝晃
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000321614