レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/08/26
- 登録日時
- 2013/12/02 00:30
- 更新日時
- 2015/01/10 17:02
- 管理番号
- 0000000091
- 質問
-
解決
1799年(寛政11年)加賀地震における宮腰津波に関して調べている。
具体的には、古文書にみられる加賀地震での津波に関する記述、技術論文等に引用される津波にかかる古文書の記述について、出典・原書・原典を確認する作業を行っている。
加賀地震の研究に関する技術論文ほかでは、
①「宮腰海嘯二百余戸を流す 前田家譜」(地震記 富田文庫)
②「宮腰津波あり、人家百軒をかきさらい溺死多し」(出典不明 羽鳥徳太郎論文が初見?)
が、よく引用されている。
上記①に関しては、原典の「地震記 富田文庫」に記載を確認したが、発生日時等に多少の錯誤がみられ、その引用元と思われる「前田家譜」で内容を確認したい。
文書の収蔵先や引用部分の撮影・コピーの可否、「前田家譜」の性格などを知りたい。
②に関しては、引用元が不明。出典を知りたい。
これらに関して、文献や論文等で既に発表され、当該文献で解決するものがあれば紹介してほしい。
- 回答
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①当館所蔵の「前田家譜」は、請求記号:K288.5/5、場所区分:郷土古書。デジカメ等による撮影可能。コピー不可。
内容は、加賀藩(前田利春~13代斉泰公)・富山藩(初代利次公~9代利幹公)・大聖寺藩(初代利治公~11代利平公)の藩主の家譜。
ちなみに、寛政11年に藩主だったのは、加賀藩11代治脩公、富山藩8代利謙公、大聖寺藩8代利考公。
その前後を見たが、「宮腰海嘯二百余戸を流す」という記述はなかった。
ところで、『加越能文庫解説目録 上巻』p319に、3種の「前田家譜」が載っている。年代的に該当するものは、文政6年(1823)に編まれた「3059 前田家譜 16.31-181」である。
「前田利政の子直之系の家譜。利政から第6代直時までを記す」という内容。
『加越能近世史研究必携 第2版』p26によると、6代直時は文化9年に相続しており、問題の地震のときは5代直方が当主だった。
②寒川旭著「寛政11年(1799年)金沢地震による被害と活断層」(「地震」第2輯第39巻(1986)653-663頁)に、以下の記述があった。
…「救荒便覧」「湿故年表」「金沢叢語」に宮腰で津波が生じたと記載されている。しかし、武者(1938)はこれらの文献は編さん物や近年の著作で信頼性に乏しく、地震当時に地元で書かれた諸文献に津波の記載が無いことから、この地震において被害を与えるような津波は無かったと断言している。(p661)…
「武者(1938)」は、末尾の文献リストによると「地鯰居士雑筆,地震1,10,543-547」だが、当館は所蔵していないため内容は確認できない。
寒川氏の論文に出ている「救荒便覧」「湿故年表」「金沢叢語」のうち、「救荒便覧」と「金沢叢語」は所蔵していた。
「救荒便覧」は、『日本経済大典 第15巻』に収録されている。p640に以下の記述がある。同じ文章が、『加賀藩史料 第10編』p901に載っている。
…同十一年五月廿四日加賀の國に夜明かなること満月のごとし廿六日地大に震す海潮湧上り城崩れ民屋も多く壊れ人畜類死傷多し其近きあたり災及びぬときく…
『金沢叢語』上76pには以下の記述がある。
…宮腰に海嘯があつて人家百軒許を掻き攫つた…
しかし、これがオリジナルか何かを引用しているかは不明である。
なお、『郷土の書物』p94によると、『金沢叢語』は「城地十五・藩主藩士三〇・市政八・皇室四・商工業二六・学事五・交通々信三・営造物八・神社寺院八・風俗祭礼一一・演劇六・衣食住七七・人事二五・名勝六・器物五・雑二六の一九三話が納められている。」という書物である。
寒川旭著『地震考古学』の「第8章 加賀百万石を襲った大鯰」p189に、「加賀藩の二人の侍がこの地震の直後に藩内を調べ歩き、被害の様子を克明に書き記している」とある。
一人は津田政隣(まさちか)で、『政隣記』に「地震の被害も詳しく記述している」(同上)。
もう一人は森田修陳(はるのぶ)で、「地震の被害を『森田修陳日記』に記している」(同上)。
『政隣記』は、『加賀藩史料 第10編』p881-897に載っている。
『森田修陳日記』は現在個人蔵で閲覧できない。翻刻などもされていないようである。『地震考古学』には『森田修陳日記』が何箇所か引用されているので、著者は原本を見たのだろう。(※→備考へ)
- 回答プロセス
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①「前田家譜」の、寛政11年に藩主だった加賀藩11代治脩公、富山藩8代利謙公、大聖寺藩8代利考公の部分とその前後を見たが、「宮腰海嘯二百余戸を流す」という記述はなかった。
ところで、『加越能文庫解説目録 上巻』p319に、3種の「前田家譜」が載っている。年代的に該当するものは、文政6年(1823)に編まれた「3059 前田家譜 16.31-181」である。
「前田利政の子直之系の家譜。利政から第6代直時までを記す」という内容。
『加越能近世史研究必携 第2版』p26によると、6代直時は文化9年に相続しており、問題の地震のときは5代直方が当主だった。
②「宮腰津波あり、人家百軒をかきさらい溺死多し」の出典
改めて「羽鳥徳太郎論文」、羽鳥徳太郎・片山通子「日本海沿岸における歴史津波の挙動とその波源域」(「東京大学地震研究所彙報」第52冊第1号,1977.11,p49-70)p58「石川~島根地域」を見たが、末尾にそれらしい文献はなかった。
(http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/12622/1/ji0521004.pdf 最終アクセス:2013.8.23)
「宮腰」「金石」「地震」「津波」「海嘯」等のキーワードで当館所蔵の図書と雑誌記事を検索したが、それらしい記述は見つからなかった。
「断層」というキーワードで蔵書検索したときヒットした寒川旭著「寛政11年(1799年)金沢地震による被害と活断層」(「地震」第2輯第39巻(1986)653-663頁)に、以下の記述があった。
…「救荒便覧」「湿故年表」[引用注:「温故年表」か?]「金沢叢語」に宮腰で津波が生じたと記載されている。しかし、武者(1938)はこれらの文献は編さん物や近年の著作で信頼性に乏しく、地震当時に地元で書かれた諸文献に津波の記載が無いことから、この地震において被害を与えるような津波は無かったと断言している。(p661)…
「武者(1938)」は、末尾の文献リストによると「地鯰居士雑筆,地震1,10,543-547」だが、当館は所蔵していないため内容は確認できない。
寒川氏の論文に出ている「救荒便覧」「湿故年表」「金沢叢語」のうち、「救荒便覧」と「金沢叢語」は所蔵していた。
「救荒便覧」は、『日本経済大典 第15巻』に収録されている。p640に以下の記述がある。同じ文章が、『加賀藩史料 第10編』p901に載っている。
…同十一年五月廿四日加賀の國に夜明かなること満月のごとし廿六日地大に震す海潮湧上り城崩れ民屋も多く壊れ人畜類死傷多し其近きあたり災及びぬときく…
『金沢叢語』上76pには以下の記述がある。
…宮腰に海嘯があつて人家百軒許を掻き攫つた…
しかし、これがオリジナルか何かを引用しているかは不明である。
なお、『郷土の書物』p94によると、『金沢叢語』は「城地十五・藩主藩士三〇・市政八・皇室四・商工業二六・学事五・交通々信三・営造物八・神社寺院八・風俗祭礼一一・演劇六・衣食住七七・人事二五・名勝六・器物五・雑二六の一九三話が納められている。」という書物である。
寒川旭著『地震考古学』の「第8章 加賀百万石を襲った大鯰」p189に、「加賀藩の二人の侍がこの地震の直後に藩内を調べ歩き、被害の様子を克明に書き記している」とある。
一人は津田政隣(まさちか)で、『政隣記』に「地震の被害も詳しく記述している」(同上)。
もう一人は森田修陳(はるのぶ)で、「地震の被害を『森田修陳日記』に記している」(同上)。
『政隣記』は、『加賀藩史料 第10編』p881-897に載っている。
『森田修陳日記』は現在個人蔵で閲覧できない。翻刻などもされていないようである。『地震考古学』には『森田修陳日記』が何箇所か引用されているので、著者は原本を見たのだろう。
『日本被害津波総覧 第2版』に記載なし。
『新収日本地震史料 第4巻』p95-115、『新収日本地震史料 補遺』p612-614に、この地震に関する資料が載っているが、津波に触れたものはなかった。
- 事前調査事項
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「政隣記」、「加賀藩史料」、「北國地震記」など調査済。
- NDC
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- 地球科学.地学 (45 9版)
- 参考資料
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- 1 寛政11年(1799年)金沢地震による被害と活断層 寒川 旭∥著 [地震学会] 1986.10 K209.07/22
- 2 日本経済大典 第15巻 滝本/誠一?編纂 史誌出版社 1928 330.8/9/15 p640 「救荒便覧」収録
- 3 金沢叢語 和田 文次郎∥著 加越能史談会 1925 K222/11 上76p
- 4 地震考古学 寒川/旭?著 中央公論社 1992.10 453.2/36 p189 「加賀百万石を襲った大鯰」
- 5 加賀藩史料 第10編 清文堂出版 1981 K209.5/29/10 p880-902 「寛政十一年五月廿六日。金澤に強震あり。」
- キーワード
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- 加賀地震
- 宮腰
- 津波
- 前田家譜
- 羽鳥徳太郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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武者金吉「地鯰居士雜筆」(地震1,10,543-547)は、J-Stageにて閲覧可能との情報提供があり、内容を確認した。
(https://www.jstage.jst.go.jp/article/zisin1929/10/12/10_12_543/_article/-char/ja/ 確認日:2015-01-10)
「其の根據とする所は斯うである.この地震に關する史料で筆者の手許にあるものは,(1) 政隣記,(2) 續漸得雜記,(3) 郡方舊記,(4) 日用雜記,(5) 森田修陳日記,(6) 三州來因概覽附録,(7) 宮地日記,(8) 飛騨地震年表,(9) 續皇年代雜記,(10) 救荒便覽,(11) 温故年表,(12) 和田文次郎著金澤叢語,以上12種である.この中(1)より(6)までは地元に記録せられたもので,最も信用の出來るものであるが,其等の中には全く津浪の記事を見出されないのである.」
そのため「森田修陳日記」には津波の記事は収録されていないと考えられる。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000141454