レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年09月30日
- 登録日時
- 2012/11/16 16:57
- 更新日時
- 2013/01/17 16:21
- 管理番号
- 埼熊-2012-194
- 質問
-
未解決
柴胡について記述のある江戸時代の文献を探している。取引者・売りさばき者を知りたい。
できれば、この薬草の江戸時代国別取扱業者一覧(関東のみ)が見たい。
※柴胡は、現在もある薬草。静岡の三島が発祥で「ミシマサイコ」ともいわれる。
- 回答
-
〈柴胡〉の江戸での取扱について記述のあった資料は、『江戸時代漢方薬の歴史』の「柴胡 一斤、江戸本町三丁目奈良屋市兵衛方に船積仕候」と『東京市史稿 産業篇 19』の「品目 柴胡、数量 一斤、出荷人 大阪道修町二丁目河内屋清兵衛、荷受人 江戸本町三丁目喜多村久右衛門」の2件のみ(唐薬)であった。いずれも、道修町文書「江戸下シ海陸荷物書上一件」に記載があった。
江戸においては、薬種の取引ができる業者が限られていたようで、〈柴胡〉を取扱っていたかは不明であるが、複数の資料で、江戸の薬種問屋の一覧を見ることができる。
〈柴胡〉の取扱いについて記述のあった資料
『江戸時代漢方薬の歴史』(羽生和子著 精文堂 2010)
巻末索引に〈柴胡〉の項あり。
p54-55「「江戸下シ海陸荷物書上一件」(大阪道修町文書「江戸売買」収録)には、大阪より江戸へ送られた唐薬情報が知られる。大坂方の荷だし人名、江戸の荷受人、薬種名、数量,日付、運送方法が記されている。」とあり。」この中で数量の多いものに、紫胡の名あり。
p100に「道修町(大阪)の薬種問屋は薬の原料となる薬種を商っていた。長崎で輸入された唐薬種も大阪に運ばれ、重量を調べ品質を鑑別し価格を決定して諸国に販売していた。(略)安永8年(1779)からは全ての唐薬種は大阪を通じて扱うことが法制化されたのである。」とあり。
p115-「江戸時代における輸入唐薬の品名・数量について」の項に、薬種の流通について「特に江戸は大消費地であり大阪から送られた薬種を扱う大問屋が本町三丁目を中心に存在し、ここから更に関東、奥州の地方薬種問屋へ二次的に供給された。」とあり。
p116-「唐薬輸入と流通」の節に、「江戸下シ海陸荷物書上一件」から荷受人(道修町の取引先である江戸の薬種問屋)の一覧あり。
p207-「江戸下シ海陸荷物書上一件」(壱番)(弐番)の収録あり。※この文書は「大阪薬種業誌」に所収。県内未所蔵。国会図、都立図、大阪府立ほか所蔵あり。
p214に「柴胡 一斤」を「江戸本町三丁目奈良屋市兵衛方に船積仕候」の記載あり。
『東京市史稿 産業篇 19』(東京都編 東京都 1975)
p419-「宝暦六子年十月二十五日より江戸下し海陸荷物書上一件」に、「江戸本町組薬種問屋と唐和薬類の取引を為して居たる大阪方の薬種問屋は十軒で(略)海運に依る分を抜粋して左に掲ぐ。」とあり。宝暦六年十一月二十一日の項に、「品目 柴胡」「数量 一斤」「出荷人 大阪道修町二丁目河内屋清兵衛」「荷受人 江戸本町三丁目喜多村久右衛門」の記載あり。
p434-「此月(宝暦6年11月/1756年)本町薬種問屋組合、薬種販売ニ関シ誓詞連名ス。」として、江戸本町の薬種問屋の連名あり。※出典は「東京薬種貿易商同業組合沿革史」 県内未所蔵。国会図、都立図、神奈川県立図所蔵あり。
『東京市史稿 産業篇 13』(東京都編 東京都 1975)
p184「江戸大伝馬町組薬種屋拾九人」の所在地と名前あり。
p480「唐和薬指定問屋外直引受禁止」あり。享保15年に「本町三丁目組廿五人、大伝馬町組十九人以外行フベカラズ」と再令したもの。
- 回答プロセス
-
江戸時代の薬種問屋や流通について調査
近世の薬業史について調査
『近世日本薬業史研究』(吉岡信著 薬事日報社 1989)
p170-〈「きぐすりや」と仲間〉の項あり。江戸に入る以前から、薬種問屋組合が形成されていくまでの流れについて記述あり。
p172-〈和薬改会所の設置〉の項あり。「享保7年(1722)、幕府は大坂、京都、堺、駿府における薬種問屋の代表を、江戸に招集した。さらに本町薬種問屋仲間を加え、和薬についてその真偽・品質検査をおこなうための「和薬改會所(和薬真偽吟味所)」の設置を指示した。」とあり、招集した人物の名前あり。また、「和薬の買入れは必ず改會所を経て行うこと、さらに薬草を採集して納めるのも、かならず改會所に売らねばならなくなったのであった。」とあり。
p178-〈薬品はほとんど輸入〉の項に、長崎から大阪、江戸・地方の流通を示した、ごく簡単な図あり。
p204-〈採薬・薬園も幕府の仕事〉の項あり。人参、黄芩についての記述。
『江戸の生薬屋』(吉岡信著 青蛙房 1994)
p49〈仲間によるクスリ規制〉に、上記資料〈「きぐすりや」と仲間〉と同様の記述あり。
『江戸町人の研究 3』(西山松之助編 吉川弘文館 1975) 「江戸買物独案内」収録。
p479-481薬種問屋について記載あるが、取扱の薬について記述なし。
『重宝記資料集成 26 医方・薬方』(長友千代治編 臨川書店 2006)
p177-224「洛中洛外売薬重宝記」に、薬の商品名と販売・取次について記載があるが、薬の成分について記載なし。(どの薬に柴胡が使われているか不明。)
『重宝記資料集成 27』所収の「薬種日用重宝記授」に薬名と成分あり。販売・取次については、記載なし。
《レファ協DB》の類似事例より参考文献を調査
「江戸時代の長崎貿易で、取引された薬の量、取引価格などがわかる資料が見たい。」
(https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000059083 国立国会図書館 2012/09/26最終確認)
『長崎事典 産業社会編』(城島卓編 村山孝信編 長崎文献社 1989)
「近世長崎貿易輸出入品-香辛料・薬草」の項目に〈柴胡〉なし。
『近世長崎貿易史の研究』(中村質著 吉川弘文館 1988)
p468-471「第58表「永茂」号の本売荷物その2(薬種・荒物類)」あり。
品名と数量、価格(元値、払値)、落札者氏名あり。品名に〈柴胡〉なし。
『幕末維新期長崎の市場構造』(小山幸伸著 御茶の水書房 2006)
p97-〈長崎貿易における薬種落札取引〉の項に、代表的薬種の輸入量の規模(山帰来、大黄、他)についての記述はあるが〈柴胡〉なし。
p100-〈落札商人と史料について〉の項に、有力落札商人と「表2-3 嘉永二年落札商人」の記述あり。落札品目については不明。
『長崎の唐人貿易 日本歴史叢書 6』(山脇悌二郎著 吉川弘文館 1964)
p109-「表(9)正徳元年(1711)唐船舶載品目数量表」に〈柴胡〉の記載なし。
p199-「表(11)文化元年(1804)唐船11艘舶来品目・数量表」に〈柴胡〉の記載なし。
『長崎貿易と大阪 輸入から創薬へ』(宮下三郎著 清文堂出版 1997)
薬種ごとに、年次別の入札、落札量・落札価格等の表はあるが、 〈柴胡〉の記述なし。
p234-「唐物荷請問屋」の章に、長崎在住の本商人・村上家の取引の商家の記述はあるが、〈柴胡〉については 不明。
p250-267「薬種貿易文書」の章あり。注15に「薬種に関しては本庄栄治郎博士の「近世大阪の薬種仲間」及び「薬種取引の研究」が(略)『過去と現代』(1969 大阪経済史研究会)第三部に収められた。」とあり。
上記の記述から調査
『過去と現代』(本庄栄治郎 経済史研究会 1969)
p322-341「近世大阪の薬種仲間」あり。
道修町の唐薬問屋についての変遷や薬種仲間の組織形態に関する詳細な記述はあるが、〈柴胡〉については記述なし。
p342-368「近世大阪の薬種取引」に、薬種の取引方法について詳細な記述あり。〈柴胡〉の記述なし。
p369-393「附 わが国における薬業の発達」あり。
徳川吉宗の時代から薬種の栽培を奨励していったとあり。著名な薬種の一つに「鎌倉の柴胡」という記述あり。
巻末の「輸入薬種荒物一覧」(江戸時代後半に輸入した薬種の品目表と注から成る)に〈柴胡〉の項あり。
p289〈柴胡〉の項に、「舶載薬物録」より「元文五申年明和元申年同七寅年天明八申年寛政五丑年五度持渡申候」とあり。
『徳川禁令考』を調査
『徳川禁令考 前集6』(司法省大臣官房庶務課 法制史学会編 石井良助校訂 創文社 1959)
p288-「薬種薬草」の綱目あり。
享保7寅年7月「3944 和薬真偽改町方町触」に「伊勢町ニおゐて改會所創建、都合問屋貮拾五人之者相改候筈ニ候(中略)右貮拾五人之問屋共之外、脇々ニ而山々より出候和薬直買不仕」とあり、和薬の取り扱いを25人の問屋に制限している。
享保9辰年7月「3945 唐薬之儀問屋共之外ニ而引請間敷事」に「(江戸問屋)貮拾五人之問屋共計江差下し、外江ハ一切不差越候之筈候間」とあり、大阪から薬種を積み下す場合は、25人に限るとしている。
享保14酉年閏9月「3948 唐薬和薬共直荷引請候者之儀町触」に「大傳馬町組拾九人之者、向後京大坂堺并在方より出候薬種直荷引請候筈ニ申付候」とあり、大伝馬町の19人も直売を許すとしている。
関東の薬種問屋について調査
『前橋繁昌記 一名前橋土産 みやま文庫 53』(保岡申之著 半醒亭閑人槿華編述 衆粋庵逸客冷露画図 1974)
p36〈薬種商〉の項あり。所在と名前あり。取扱品の記載なし。
〈柴胡〉について調査
薬草の辞典から
『中薬大辞典 2』(上海科学技術出版社編 小学館編 小学館 1985)
p891-897〈サイコ 柴胡〉の項あり。 柴胡の14種類の絵と薬剤となった部分の絵、薬効・成分・どんなときに使うか・どこで採取できるか等について記述があるが、流通について関係の記述なし。
『薬物名出典総索引 江戸・明治初期の薬物検索のための』(青木允夫 野尻佳与子編 内藤記念くすり博物館 2001)
p344〈柴胡〉が収録されている資料は、50件あり。このうち出典紹介の産地欄が記載あり、あるいは出典紹介解説から参考になりそうなものは以下の3件。
「日用薬品考」
『名古屋叢書 13』(名古屋市教育委員会編 愛知県郷土資料刊行会 1983) ※「日用薬品考」収録あり。
p324-325〈柴胡〉の項あり。取扱者等についてはなし。
「重訂本草綱目啓蒙」
『日本古典全集 1〔24〕 重訂本草綱目啓蒙』(正宗敦夫編 現代思潮社 1978)
p161-163〈柴胡〉の項あり。取扱者等についてはなし。
「原色和漢薬図鑑」
『原色和漢薬図鑑 上 保育社の原色図鑑 56』(難波恒雄著 保育社 1980)
p123-125〈柴胡〉の項あり。起源・産地・成分などについて記述あり。取扱者等についてはなし。
『薬物名出典総索引 江戸・明治初期の薬物検索のための 続編』(青木允夫 野尻佳与子編 内藤記念くすり博物館 2008)
p297 柴胡が収録されている資料は、39件あり。出典紹介などから参考になりそうなものなし。
『広川薬用植物大事典』(木島正夫〔ほか〕編 広川書店 1979)
p345-346〈ミシマサイコ〉の項に、「ミシマサイコの名は昔その生薬原料を静岡県三島から出したのにより、別名カマクラサイコとも呼ばれるが、現在は九州霧島方面からの産出のほうが多い」とあり。
『原色日本薬用植物図鑑』(木村康一共著 木村孟淳共著 保育社 1977)
p68〈ミシマサイコ〉の項に、流通などに関する歴史的記述なし。
『原色日本薬用植物図鑑 全改訂新版』(木村康一共著 木村孟淳共著 保育社 1991)
153-154〈ミシマサイコ〉の項に、流通などに関する歴史的記述なし。
『原色牧野和漢薬草大図鑑』(岡田稔〔ほか〕編集 北隆館 1988)
p354 ミシマサイコ等、サイコについての記述はあるが、古典籍について記述なし。
語源に詳しい国語辞典から
『日本国語大辞典 5』(日本国語大辞典第二版編集委員会編 小学館国語辞典編集部編 小学館 2001)
p1274〈サイコ〉の項あり。参考資料に『養生訓』(1713)あり。
『養生訓』(貝原益軒著 石川謙校訂 岩波書店 1991)
p140「偽薬とは、真ならざる似せ薬也。枸橘を枳穀とし、鶏腿児を柴胡とするの類なり」
『日本国語大辞典 12』(日本国語大辞典第二版編集委員会編 小学館国語辞典編集部編 小学館 2001)
p656〈ミシマサイコ〉の項あり。参考資料に「重訂本草綱目啓蒙」(1847)あり。 ※既出
その他調査した資料は、以下のとおり。
道修町について調査
『薬の大阪道修町 今むかし 上方文庫 31』(三島佑一著 和泉書院 2006)
『船場道修町 薬・商い・学の町』(三島佑一著 人文書院 1990)
今泉修平著「大阪市場における株仲間発展の一形態」(『ヒストリア 72号』p31-46 大阪歴史学会 1976.9)
『商いの場と社会』(吉田信之編 吉川弘文館 2000)
唐船の荷物について調査
『唐船輸出入品数量一覧1637-1833年 復元唐船貨物改帳・帰帆荷物買渡帳』(永積洋子編 創文社 1987)
- 事前調査事項
-
『長岡の歴史 3』(今泉省三著 野島出版 1970)
p362-363「幕府では、薬草の調査を全国的にときどき行ったが、享保十二年八月の「薬草調査覚」のなかに、一、金壱両銭壱貫五拾文 長岡井筒屋源左衛門とか、(後略)」とあり。
- NDC
-
- 薬学 (499 9版)
- 参考資料
-
- 『江戸時代漢方薬の歴史』(羽生和子著 精文堂 2010)
- 『東京市史稿 産業篇 19』(東京都編 東京都 1975)
- キーワード
-
- 漢方薬-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000114123