レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年10月06日
- 登録日時
- 2007/04/14 16:06
- 更新日時
- 2010/04/07 10:05
- 管理番号
- 福若-2006-1006
- 質問
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未解決
杉田玄白がコーヒーを飲んだ、という記録はないか。また、玄白前後の日本でのコーヒー受容について概略を知りたい。
- 回答
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・杉田玄白がコーヒーを飲んだという記録は見つけられなかった。(しかし、飲んでいないとも明言できない。)
・「解体新書」刊行後の玄白の活躍期をはさんで、その前の時期は長崎・出島での通詞や遊女らの受容にとどまる。玄白と同時期には、ツンベルクが江戸にコーヒーを持参した記録がある。その後は、蘭学者や太田蜀山人ら江戸在住者のコーヒー体験記録があり、江戸での受容が確認される。
- 回答プロセス
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1.玄白関係の資料をあたる。下の資料以外、特に関係ありそうなものは見つからない。
・『平成蘭学事始』
p53~56 出島の食文化について。長崎通詞のコーヒー飲用に関する記録。
p245~261 当時の出島や「オランダ正月」における料理の再現について。コーヒーもあがっている。
2.コーヒーの歴史に関する資料をあたる。件名「コーヒー」で検索,NDC383.8を見るが、玄白と関係するものはなし。
一般的な歴史については、下記2点がやや詳しい。
・『コーヒー博物誌』:p159~165あたりに、長崎・出島での受容~ツンベルク(ツュンベリー)の記録~江戸での受容といった内容で、玄白前後のコーヒーの受容について記述されている。
・『珈琲大百科』:p189~191
3.上記資料などから、ツンベルクは江戸に来たことがあり(1776年)、中川淳庵らと親交があった。その記録は『日本紀行』(当館所蔵資料:『江戸参府随行記』東洋文庫)に載っている。中川淳庵関係のところには、コーヒーに関する記述はないが、『コーヒー博物誌』にあるとおり、当時の長崎通詞らがコーヒーを飲んでいたこと、ツンベルクが道中コーヒーを携帯・飲用していたことが記載されている。
4.玄白がコーヒーを飲んだ可能性がある出来事としては、下記のとおり。
1766年 長崎商館長カピタン、通詞西善三郎江戸に来る。玄白、良沢とともに西に会う。
1776年 ツンベルク江戸に来る。このときコーヒーを持参。中川淳庵らと会う。
『杉田玄白日記』があるが、この日記が書かれたのは1787年以降である。
5.googleで「杉田玄白」+「コーヒー」で検索
倉敷珈琲物語(http://www.y-21gp.com/coffee/index.htm 2007/04/18確認)の第42話「玄随が初めて飲んだのは珈琲ではなくて...」に杉田玄白らが長崎のカピタン一行と江戸で会った記録(1794)を紹介し、食卓にワイン等の飲物があったという記述から、コーヒーも出ていた可能性を指摘している。
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会科学 (3 8版)
- 参考資料
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- 平成蘭学事始 片桐一男/著 智書房 2004 402.1/カタキ
- コーヒー博物誌 伊藤博 八坂書房 新装版 2001 596.7/イトウ
- 珈琲大百科 諸岡博熊/著 いなほ書房 1993 596.7/モロオ
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江戸参府随行記 C.P.ツュンベリー/[著] 平凡社 1994
291.09/ツ
- キーワード
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- 杉田玄白
- コーヒー
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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その他、日本でのコーヒー受容に関係する文献、ウェブサイトは下記のとおり。(近畿大学様より)
『近世日本の医薬文化』 山脇悌二郎著 平凡社 , 1995 (平凡社選書 155) p.198-206
『シーボルトと宇田川榕菴 : 江戸蘭学交遊記』 高橋輝和著 平凡社 , 2002 (平凡社新書 129) p.40
『厚生新編』 2 ショメール[著] ; 馬場貞由[ほか訳] 恒和出版 , 1978 巻21-38 静岡県立中央図書館所蔵の複製 p.400-417 第28巻 雑集
『洋学史事典』 日蘭学会編 雄松堂出版 , 1984 p.275 「哥非乙説(コッヒイせつ)」
「洋学コラム 「珈琲について」」 下山純正 『津山洋学資料館友の会だより』 第5号 津山洋学資料館 (国立国会図書館東京本館に所蔵有り)
『日本大百科全書』 9 小学館 , 1986 p.481-485 「コーヒー」
『世界大百科事典』 10 [1988年版] 平凡社 , 1988 p.445-447 「コーヒー」
津山洋学資料館
http://www.tvt.ne.jp/~yougaku/ (2007/04/16確認)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000034585