レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年12月10日
- 登録日時
- 2015/08/06 15:09
- 更新日時
- 2015/08/06 15:09
- 管理番号
- 相-150006
- 質問
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コナン・ドイル著の「シャーロックホームズ」シリーズの中には、「僕は最後の控訴院」といったセリフがしばしば出てくる。控訴院は日本で言えば高等裁判所にあたりそこからさらに上級の裁判所で争うことは可能だと思うのだが、違うのか。どうしてこのようなセリフが頻出するのか知りたい。
- 回答
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グーテンベルグプロジェクト(https://www.gutenberg.org/)で確認すると、「控訴院」は原語では「court of appeal」と書かれているようで、「上告裁判所」と訳している本もあります。
・「むずかしい事件の最後の控訴院としてみとめられている」(「マズグレーヴ家の儀式書」『回想のシャーロック・ホームズ』所収 阿部知二訳 東京創元社 1960)
when I am generally recognized both by the public and by the official force as being a final court of appeal in doubtful cases.( The Musgrave Ritual)(1893)
・「特別控訴院とでもいったようなものですから」(「五個のオレンジの種」『シャーロック・ホームズの冒険』所収 阿部知二訳 東京創元社 1960)
I am the last court of appeal.( THE FIVE ORANGE PIPS)(1891)
・「探偵に関しては、ぼくのところが最終で最高の上告裁判所みたいなものだ」(「四つの署名」『シャ-ロック・ホ-ムズ全集 第9巻』所収 伊村元道訳 東京図書 1982)
I am the last and highest court of appeal in detection(The Sign of Four)(1890)
イギリス(イングランド)では1907年に刑事控訴院が設置されるまでは、刑事事件において上訴する権利が認められていませんでした。
(『外国法』 戒能通厚、広渡清吾著 岩波書店 1991<322.9Z/101>(20385167) p4、
『イギリス法史入門 第1部』ジョン・ハミルトン・ベイカー著 関西学院大学出版会 2014 <322.33/112/1> (22723423) p195)
ホームズが自らを「court of appeal」になぞらえている3作品の執筆時期は、『コナン・ドイル』河村幹夫著 講談社 1991 <930.28Z/46>(20345872) 巻末の「コナン・ドイル年譜-人と作品」によると、
「The Sign of Four」(1890)、「THE FIVE ORANGE PIPS」(1891)「The Musgrave Ritual」(1893)となります。いずれも1907年以前であり、これらの執筆時には、刑事事件において上訴する権利はまだ認められていなかったということになります
ホームズが口にする「court of appeal」(控訴院・上告裁判所)は実際に存在する固有の組織ではなく、謎を解明し、真相を明らかにし、人々を救う最後のよりどころという意味だっだのでなないかと思われます。
『コナン・ドイル』ヘスキス・ピアソン著 平凡社 2012 <930.26/ 193> (22618805) 巻末の「アーサー・コナン・ドイル略年譜」には、「1906年 インド人弁護士ジョージ・エダルジの冤罪を晴らす戦いをはじめる。」「1912 10月、ユダヤ人オスカー・スレイターの冤罪を晴らすべく『オスカー・スレイター事件』を刊行」といった記述があり、シャーロック・ホームズの著者コナン・ドイルは、現実の司法に関心を持っていたことがうかがえます。
なお1907年に設立された刑事控訴院(Ⅽourt of Criminal Appeal)は控訴院(Court of Appeal)に引き継がれ、刑事部と民事部にわかれ、中間上訴裁判所として現在機能しています。
(『英米法辞典』田中英夫編集 東京大学出版会 1991 <322.93/104a 常置> (21227533) p210-211)
- 回答プロセス
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①インターネットを「控訴院 シャーロック ホームズ」で検索すると、グーグルブックスで以下の2点がヒット。
・「マズグレーヴ家の儀式書」(『回想のシャーロック・ホームズ』阿部知二訳 東京創元社)
「むずかしい事件の最後の控訴院としてみとめられている」
・「五個のオレンジの種」(『シャーロック・ホームズの冒険』阿部知二訳 東京創元社)
「特別控訴院とでもいったようなものですから」
②グーテンベルグプロジェクトで該当の部分の原文を確認すると
・You see me now when my name has become known far and wide, and when I am generally recognized both by the public and by the official force as being a final court of appeal in doubtful cases.( The Musgrave Ritual)
・“I am the last court of appeal.”( THE FIVE ORANGE PIPS)
とあり、「court of appeal」を控訴院と訳していることがわかる。
③「court appeal last holmes」等でさらにインターネット検索した結果、
・I am the last and highest court of appeal in detection(The Sign of Four)という文章も見つかった。『四人の署名』『四つの署名』と訳されていることが多い。
④当館で所蔵している上記3作品を確認したところ、「court of appeal」を「上告裁判所」と訳している資料もあった。
⑤この3つの作品が書かれたのは『コナン・ドイル』河村幹夫著 講談社 1991 <930.28Z/ 46> (20345872) 巻末の「コナン・ドイル年譜-人と作品」によると、The Sign of Four(1890)、THE FIVE ORANGE PIPS(1891)The Musgrave Ritual(1893)。
⑥『外国法』戒能通厚、広渡清吾著 岩波書店 1991<322.9Z/101>(20385167) p4によると、「これがきっかけとなって1907年に刑事控訴院(Ⅽourt of Criminal Appeal)が設置されることになった。ということはそれまでは、イングランドにおいても重大な刑事事件の審理は、高等法院等での一回限りの公判に委ねられ、控訴は、原則として認められていなかったのである」と記載がある。
⑦『イギリス法史入門 第1部』ジョン・ハミルトン・ベイカー著 関西学院大学出版会 2014 <322.33/112/1> ( 22723423 ) p195には
「1844年には、有罪宣告を下された被告に、民事事件の訴訟担当者と同様に再審理の申立てをする権利を与え、実質的に上訴の権利をもつことができるようにするための法案が議会に提出された(中略)しかし、事件の留保はなおも事実審裁判官の裁量にかかっており、裁判所は民事事件における中央法廷のような権限を持ってはいなかった。継続的な改革の訴えにもかかわらず、被告人は1907年に刑事控訴院が導入されるまで上訴する権利を獲得出来なかったのである。」とある。
⑧1907年設立の刑事控訴院(Ⅽourt of Criminal Appeal)と、現在の控訴院(Court of Appeal)の関係を『英米法辞典』田中英夫編集 東京大学出版会 1991 <322.93/104a 常置> (21227533) で確認。
⑨コナン・ドイルの伝記を確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 小説.物語 (933 9版)
- 法制史 (322 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 控訴
- 上告
- 冤罪
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000178097